2023.07.12 Wednesday
臺灣旅游 4日目 台北〜羽田〜富士宮
7月2日(日)
ホテル9:00〜国立故宮博物院〜金品茶楼(昼食)〜台北松山飛機場〜
JL0098,14:20〜羽田18:35〜K7道路〜東名横浜青葉IC〜新富士IC〜
富士宮〜自宅
楽しかった臺灣のツアー旅行、最終日、圓山大飯店での宿泊。
高級ホテルにふさわしく、いい経験になりました。
朝食の後、台湾総督府を車上見学して、故宮博物院の見学です。
女房殿も、4度目で嬉しいようでした。
何回来ても、展示物は、新しいもので、見ごたえがあります。
昼食は、残念ながらビールは飲みません。
羽田に到着したら、車を運転しなければなりません。
土産物、メンマやウイスキーなどコラショと購入し、
台北の松山飛機場から久しぶりのJALで、快適です。
羽田に戻り、荷物がなかなか出てこなかったが、
ツアーの仲間、総勢16人と多分会うことはないと思うが
また会いましょうと挨拶をしました。
羽田の駐車場から、首都高K7道路〜東名横浜青葉IC〜東名
足柄SAで、夕食、日本のそば、うどんを食べました。
今回の旅行、臺灣で高雄のクルーズと、十份のランタン揚げ
よかったと女房殿も云ってましたが、やはり久しぶりの旅行は
いいなと、改めて感じた小生でした。
ホテルの外で、朝食前、周りの風景を看ながら、煙草を一服する。
台南の中年男性に話しかけられ、デタラメ中国語で会話する。
外国に行くと、陽焼けしているので、現地人とよく間違えられます。
ホテル玄関近くでは、ベンツやLEXUSなど高級車が停められております。
ホテルのロビーに、素敵なクラシックカーが展示されており、
観光客が、写真を撮っていました。
ホテルのレストランで、ブッフェスタイルの朝食。
今後、ここで食事することはないと思うが。。。
階段を一段上がると、各国要人がここに宿泊した写真が展示され
モニターの動画は、当該ホテルで撮影された映画の挿入歌が
流されていました。
1959年公開、香港國泰公司電影”空中小姐”の動画が流され、
淡水、圓山大飯店等、当時の風景が撮影され貴重な映画です。
この動画を知っている人は、あまりいないだろうなどと、
女房殿に無理やり!説明してやりました。
空中小姐..............
是香港電懋影業於1959年拍攝的第一部彩色邏篷訶撤董て咳薜抂彿検
並由能歌善舞的葛蘭領銜,搭配葉楓、蘇鳳、喬宏、雷震共同演出,
林翠在片中客串乘客一角。當年電懋特地向香港航空公司
租借子爵式客機進行電影的拍攝,並遠赴台北、曼谷、新加坡等地取景
記錄了東南亞的瑰麗風景,影片拍妥後更是砸下重金送往英國沖洗
可見電懋對該片的重視。
林可萍(葛蘭 飾)為了趕時髦,毅然參加空中小姐訓練,本以為是
一份高尚又令人羨慕的職業,誰知空中小姐這個工作十分專業
不但辛苦,也要應付客人各式各樣的要求。空姐朱欣娟(葉楓 飾)是
一個機會主義者,藉著幫助客人運貨過海關獲利,沒想到竟被利用於走私。
空姐陳環(蘇鳳 飾)投機取巧而得到好成績,可惜因為過於害羞而
被派任地勤小姐。副機師雷大鷹(喬宏 飾)對林可萍一見鍾情
但為了想吸引她的注意,而故意處處為難她。某次林可萍被利用進行走
私卻懵然不知,當公司追查此事時,雷大鷹巧妙地揭發真相,
令林可萍大為感激。最後,情投意合的工程師雷震與空姐陳環
在飛機上舉行空中婚禮結為連理,為電影畫下圓滿的句點。
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映画の中で、機内で”牛肉茶”が乗客にふるまわれています。
牛肉茶.......
香港のティーレストランの飲料、かつては茶店で一般的だったが
近年は珍しい飲み物です。
牛肉を清水で洗って乾燥し、スライスし、一杯の水を加え、
浸した牛肉をスノーキャビネットに入れて2時間浸します。
牛肉と牛肉に浸した水を鍋に注ぎ、生姜、果実、3杯の
ローリングウォーターを加えて1時間半煮込み、塩を少し加えて味を整え、
約30分煮込んでから飲みます。
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1919年,臺灣を統治していた日本政府の臺灣総督府であった。
バスから降りて、写真撮影のみであったが、現在も、
中華民国総統府として使用されている。
国立故宮博物院
何回も来ているが、展示物は、毎回更新され、ガイドさんの説明も
ポイントを簡潔明瞭で、皆さんよく理解できました。
白菜は、貸し出し中で、始めてきたツアーの方は、残念がってました。
90分では短すぎますが、再度訪台したいなどと皆さん云ってました。
中正記念堂
1975年、蒋介石総統が死去した後、1980年建設された。
昼食を、3回目の金品茶楼で食事した後、店外で、煙草をすいながら
休憩。周りの風景を撮っていました。
年寄りの女性が、通リかかり、連れている犬が、なんと
山梨の”甲斐犬”で、少し会話しました。
市内のバスの広告、オートバイがたくさん走り酷暑の台北の風景。
臺灣最後の写真となりました。
再見!我愛臺灣!!!
了
2023.07.12 Wednesday
臺灣旅游 3日目 高雄〜台南〜台北
7月1日(土)
ホテル7:30〜台中車站〜臺灣鐵路・新幹線〜台北〜十份〜九份〜
〜台北〜圓山大飯店(泊)
高雄のホテルで、朝食の後、バスで、台中車站へいく。
指定席、昼食は、ガイドから購入した弁当が配られる。
駅内で食べる人もおり、大体、車中で食べました。
台北に到着し、バスで、十份にいき、ランタン揚げに初挑戦。
4人一組で、筆で文字を書いて大空へ飛ばし、感動しました。
九份で、食事後、台北に戻り、一度も宿泊したことのない
憧れのグランド・ホテル(圓山大飯店)に投宿する。
とにかく、部屋も広く、広いベランンダ、圧倒されました。
夜は、タクシーで、士林夜市にも行くかと思ったが、一軒では
終わらず心配だと女房殿の許可?が下りず、滋賀の方と
地下一階のバーで、懇親して盛り上がりました。
臺鐵の新幹線の車窓から風景、臺灣は、北部が2毛作、南部は亜熱帯
3毛作であり、南部は、ウナギの養殖も昔からやっており
日本へ輸出されており、小生も、東京で貿易会社時代、関わった。
地下鉄も、新幹線もまだない時代の風景が懐かしく思い出された。
九份のまだ山奥、十份老街は初参上、観光客でごった返しており
皆、ランタンを飛ばす方が大半で、線路街は、たいへん賑やかです。
4人一組、我々夫婦と仲のいい女性友人、願いを、ふと筆でかきます。
女房殿は、家族の健康、小生は、阪神Tigersの勝利と健闘を念じました。
十份は、日本の当時時代、炭鉱開発のために引かれた平渓線の終点。
ランタンは、落下したら、住民が、役所にまとめて持っていくと
生活用品の買い物券がもらえるそうです。
旅行前、十份で、小生は、不謹慎にも?ジェット風船を飛ばそうと
思ったが、入手出来なかった。
臺灣小姐もランタン揚げて楽しそうですね!夜行ってみたいです。
九份も、コロナ前に来た以来で、駐車場からシャトルバスに乗り換える等
随分、進歩しており、今回も、観光客で満杯です。
九份観光のツアー指定レストラン”九戸茶語”3度目の利用です。
ガイドは、散策した後と云っていたが、女性陣に押し切られ先に
まだ4時過ぎで食事になり、小生はおかんむり!。
食事の後、観光はどうでもいいので、ここのテラス席で風景を看ながら
一杯飲むことになる。
ここで、デタラメ中国語でYutuberの女性と話していると、テラスで
食事していた横浜DeNAファンの青年たちと話を交わすようになりました。
当然、小生のおごりで、一献し懇親しました。
2人ずれの青年達は、本日、台北に到着し、電車で?九份に来たようです。
ツアーのガイドが、九份で75歳くらいのツアーの日本人老人が、2日間
行方不明になったなどと云ってたので、女房殿、心配して観光をやめて
戻ってきてくれました。
地下鉄の”悠遊カード”を購入して、台北101など観光したら
至極便利と教えてやりました。
店のテラスで、まったりとした食事兼懇親ができてよかったです。
圓山大飯店には2度ここへきているが、一度も宿泊したことがありません.
当該ホテルは、日本統治時代、臺灣神宮の跡地に建築された。
蒋中正総統の妻,宋美齢が経営?してた当該ホテル。
当時、大陸の攻撃に備えて、避難用の地下道が作られ、予約で一般に
公開されているようです。
階段上裏には、各国要人がこのホテルを利用して重要な会議などの行われた。
臺灣と断交前、日本の岸首相なども来ているようです。
王宮のような建物、部屋の広さ、広いベランダ、快適で文句なし。
ホテルに入り、ピアノとバイオリンの演奏でお出迎えです!
食後、士林夜市でもタクシー行くかと思っていたが、一軒では終わらなく」遅くなると女房殿の許しが得られず!関西の方を誘って、地下のクラブで
酒を飲み懇親しました。
臺北の最後の夜は、麗君の”台北の夜”の動画が似合う。
2023.07.09 Sunday
臺灣旅游 2日目 台中〜台南〜屏東〜高雄
6月30日(金)
ホテル8:00〜宝覚寺〜台南〜延平郡王誌祠〜屛東〜勝利星村〜
旧鉄橋空中歩道〜高雄港・夕食〜高雄海ミニクルーズ〜
FX IN KAOHSIUNG(泊)
本日は、台中の宝覚寺に初参拝、金色の大きな大仏を見学する。
その大きさに圧倒される。
そのあと、延平郡王誌祠、鄭成功を祭った神社に参拝し
その後、高雄港に行き夕食。食後、愛河のミニクルーズ初体験
湾内から公園、市内の風景が印象的でとても綺麗でした。
ホテルの朝食、ブッフェスタイルで、料理も豊富。有難いことに
麺類があり、美味しく食す。
宝覚寺に初参拝、日本が統治していた昭和2年、建立、臨済宗妙心派の
お寺さん、30mもある弥勒大仏
金色の大きな大仏さん、何か金運が向上するような雰囲気を
感じました。
延平郡王誌祠、鄭成功、平戸生まれ、臺灣にわたり、オランダ軍を
打ち破った。母親は、日本人・田川まつ、日本とゆかりがある。
国姓爺・鄭成功といわれ、彼の名前を使用した国立成功大学が
近くにあります。
ガジュマルの木がいい感じです
途中、観光バスを,果物屋に横付。マンゴウやドラゴンフルーツなど
購入、ホテルで、各自、食したようです。
大きな、スイカ,冬瓜など3段重ね圧巻です
屛東、田舎料理で昼食、、
勝利星村VIP ZONE(創意生活圏)
日本軍の兵舎などの建物を雰囲気を残してリニューアルし、飲食店や
アートが楽しめるゾーン
喫茶店の横は、一番搾りが飲める居酒屋?
テラスでコーヒータイム
旧鉄橋空中歩道、すぐ横は、電車が走行してます。
公園の上にあり、景色はよし、但し先は、行き止まり!
汗をかきかき戻ってきました。。。
高雄港公園の横で海鮮料理の夕食
食後、少し公園を散歩する
公園の船着場から、船は出航します
港や、高雄市内の夜の風景が素敵ですね。。。
ホテルから、近くにコンビニはありますが、24時間やっている
食品や生活用品活の百貨店で、お土産をたくさん買いました。
臺灣の土産といえば、パイナップルケーキが有名ですが、
ガイド曰く、正規品1ケ300円、偽物は安いとのことで
家族用に1箱(12ケ入り)買っただけです。
先回訪台したとき、やわらかいメンマ、好評で、今回も
6パック購入しました。
日本の拉麺に入っているメンマとは味付けが違い
臺灣迄、買いに来るほど、好評みたいです。
最後は、高雄のデパートの外?なのか定かでないが、日本の慰問団?が
高雄で、日本の名曲を歌っている。小生お気に入りの動画です。
2023.07.06 Thursday
臺灣旅游 1日目 羽田〜台北〜台中
6月29日(木)
ホテル朝食6:30〜羽田出国ロビーJAL0097,8:55〜台北松山空港11:30
〜日月潭〜文武廟〜台中〜PARK LANE INN HOTEL(泊)
フードコートの食堂はやってないし、コンビニで軽食を食べるのも
いいが、ホテルのレストランで、ブッフェスタイルで、朝食。
一人2500円と高めですが、出発ロビー迄、徒歩一分ということで
ゆったりと食事する。
小生は、JALのファーストクラスに仕事で乗ったことがあるが、
団体旅行で、エコノミーでも、特にCAのおもてなしなど
文句のつけようがありません。
昔は、大型ジャンボジェット、いまのヒコウキは、搭乗員は
半分くらの小型機!主流みたいですね。。。
空港から、バスで、高速道路を日月潭までいく。
着いて、スコールにあい、難儀であった。
入り口右側の関羽の石像に挨拶する?
内部の彫刻や色がまぶしく綺麗です。
日月潭から台中方面にバスは進み、途中、レストランで、
田舎料理で夕食。
ホテルに到着し、ホテルの周りを徘徊する。
街中には、寺があり、参拝してみる。
繁華街にあるホテル、コンビニ、デパートなど至便
デパート、東急ハンズやブランド店に行く途中の地下道
2023.07.06 Thursday
臺灣旅游 前泊
6月28日(水)
自宅(富士宮)8:00〜新富士IC〜新東名〜横浜IC〜横浜公園IC
中華街〜蓮香園(昼食)〜港の見える丘公園〜本牧〜羽田〜
羽田空港第3駐車場〜第3ターミナルー〜羽田ロイヤルパークH(泊)
コロナ明けで、3月、早々、JAL使用、臺灣4日間のツアーをブックする。
万全の準備で、車で行くことになりました。
途中、横浜の中華街で昼食する。
市場通りの蓮香園でゆったりと食事をする。
明日から臺灣で、4日間中華料理を食べるが、予行演習ではないが
多分、麺類は食べることがないと思うので、エビとチャーシュー麵を
食べました。
後は、トラの”扇子”が多分必要になるので購入する。
大きな瓶入り豆板醤も買って、車の中に蔵置しました。
元町から港の見える丘公園、本牧方面に行き、公園で
少し休憩する。
チェックインまでかなり時間があるので、高速は利用せず
羽田空港へと車を進める。
羽田空港に到着して、第3駐車場に車を駐車する。
出国ロビーを通り、集合場所を確認し、今夜の宿泊先
ロイヤルパークホテルに行きました。
最初、富士宮の旅行社からJALホテルを希望したが
当該ホテルのほうが、便利ということで予約してもらう。
その後、出発ロビーを徘徊、展望台や空港内の店を
看て回りました。
外人が多く、7割くらいか。
夕食は、フードコートの広島のお好み焼き屋がいい感じで
生ビール小、三杯飲んでご機嫌でした。
ホテルは、高級ホテルで、かなり高いですが、
出発ロビー迄、徒歩一分という利便を考えると納得する。
2018.02.09 Friday
臺灣・花蓮の地震で被壊したホテル
2月6日夜、臺灣・花蓮で、M6.0の強い地震があり、花蓮市内で
ホテルやビルの一部が崩れるなどの多数の死傷者が出ている状況です。
日本のTVで、ホテルの一階部分が潰れ、傾いたホテルに支えをして
救助活動をしているシーンが写しだされています。
地震で被災された方々には、心から哀悼の意を表します。
日本から、素早く救助隊が、現地に派遣され救出活動にあたっている
方々には、頭が下ります。
花蓮は、20日前、旅行で訪れており、被災した統師大飯店からごく
近くの成旅品賛大飯店に投宿していました。
また、2年前、花蓮を訪れた時、統師大飯店に宿泊しています。
花蓮は、人口10万人くらいの地方都市で、臺灣鐵道花蓮車站から東側の
国道9号を跨いで、海岸までが市街地!の中心地であり、観光ツアーで
利用される4〜5星のホテルが多く点在しています。
花蓮には、5回ほど訪れているが、初訪台で、台北から花蓮まで
遠東航空のオンボロプロペラ機にのったが、一か月後、同機は
墜落したことが思い出され、今でもゾットしています。
それと、今回、小生が、訪台して20日後の地震報道を受けて
思うに、訪問日が、チョットずれていれば、小生も、今回の地震に
遭遇いてたのであろう。
小生は、2度の命運?に、いい知れぬ思いを感じ、仏壇に先祖の
御加護があったと線香を上げた次第です。
尚、我々貧乏人が、たまに行く国内外の旅行で、旅行保険には、
当たり前だ、必ず、念のために加入しています。
未曾有震災復興、親愛的朋友臺灣、加油!。。。。。
親愛的朋友。。。江明學
加筆1
ベテラン歌手、江明學は、台北市の路上で、覚醒剤所持で
現行犯逮捕された。素敵な歌を歌う江明學、残念です。
加筆2
統師大飯店、今再建築されたのか、ネットとGoogleMapで
確認したが、多分、再建築されていないようです。
Dated. Feb. 11,2019
了
2018.01.19 Friday
2018/台湾旅遊(5)
1月18日(木)
ホテル8:30〜中正記念堂〜忠烈祠〜免税店〜昼食〜桃園国際空港
CI-168(14:50)〜静岡空港(18:30)〜東名吉田IC〜東名富士川SIC
〜自宅(21:30)
ホテルの食事の後、徒歩で5分くらい歩き”行天宮”に参拝する。
最終日、中正記念堂〜忠烈祠を見学して、空港近くのホテルで
最後の昼食をする。
初めて台湾に来た女性は、ツアー内容は、少し強行軍であったが
食事と、ホテルは、一流であり、次回、台北市内ツアーで、ゆっくり
故宮博物院を観てみたいし、食事も良かったという感じです。
時期的には、暖かくて、好天に恵まれたことが良かったです。
臺灣圓:NT$も、全部使い切らずに、次回、訪台した時、使用したいと
云っていたのが印象的でした。
ホテル近くの”行天宮”に参拝する。
行天宮は、”桃園の誓い”の関羽雲長を祀っており、文、武、財の
神様で、古くから中華文化圏で崇拝されてきました。
関羽:関聖帝君は、”恩主公(鸞堂信仰名)”と呼ばれ”恩主公廟”は
台北行天宮の別名となっています。
その前身は、1943年に空真子師父と相弟子が台北市永楽町に
”行天堂”を設立して関聖帝君を祀り、人々のために厄払いを
行っていた。
玄空師父と称される黄欉居士(1911〜1970)は、家族の協力のもと
道教経典の真理を悟り”行天堂”の関聖帝君に帰依し、
1945年に三峽白鶏と海山炭鉱でマラリアが猛威を振るった際、
疫病が鎮まることを関聖帝君に祈願して”行修堂”を設立した。
その後、当該廟は、参拝者が増え続け、台北市内に本宮のほか
北投と三峡にも分宮が設立されています。
朝の通勤時間、スクーターが多い。。。
忠烈祠。
辛亥革命を始めとする中華民国建国および革命、中国大陸での
日中戦争などにおいて戦没した英霊を祀る祠
恵州蜂起で殉死した、孫逸仙先生の日本人盟友:山田良政も祀られている
忠烈祠、衛兵の交代。。
日本から、東京の高校の修学旅行で2校?来ており、かわいい制服の
女子高生も衛兵の交代の様子をしっかり見ている風景が、なんとなく
いい感じで、この風景に溶け込んでいました。。。
忠烈祠に参拝、
忠烈祠、辛亥革命で亡くなった孫逸仙先生の盟友”史堅如烈士”
先烈の字は文緯と申し、広東省の者で、史可法の後裔であります。
少年の時から革命に志し、その後興中会に参加し、日本に赴いて
国父孫逸仙先生に謁見を賜り、復国の大計を企てました。
1900年、広東と広西の総督である徳寿の謀殺を企てたが、
失敗して逮捕され、従容として死につきました。
国父孫逸先生は「共和革命のために殉難なされた第二の勇将」と
誉め称えました。
史堅如,名文緯,字經如,後改為堅如。清光緒五年五月五日生於廣東番禺。史可法之後裔。六歲喪父,幼時體弱多病,寡言笑,興之所至,揮毫漫畫,竟能必工必肖,且有奇氣,見者皆稱為小畫師。稍長入學,不喜經籍,尤惡八股,惟熱衷史學,好瀏覽古今史冊,講求經世之術,及兵法輿地之學。讀史記時,尤喜刺客列傳中之荊軻、聶政等壯士俠義行為。即長,貌雖文弱,然頗有尚武精神、讀書之餘,兼習武藝,慨然有經略四方之志。光緒二十一年,甲午之役中國戰敗,目睹喪師割地,受刺激甚深,曾憤然曰:「今日中國,正如千年破屋,財壞不可收拾,非盡毀而更新之不為功」。二十四年,戊戌政變失敗,益為慨歎,乃立志革命,推翻滿清政府,之後入美國人於廣州設立之格致書院,期間頗受校中掌教尹士嘉器重。不久,由日人高橋謙介紹至香港會見陳少白、楊衢雲等,並加入興中會。二十五年,東渡日本,晉謁孫中山先生,後孫中山先生以其會黨關係密切,乃命其入長江密切聯絡,開始參加革命實際工作。二十六年,義和團之亂,孫中山先生命其入廣州招集同志,以謀響應鄭士良於惠州起義。奉命後,即開始作軍事佈置;閏八月中旬,聞鄭士良已於惠州三洲田發難,粵督調集清軍包圍革命軍。乃變更計畫,決定暗殺清吏中之顯要者,使其主持無人,以緩其傾師東向。時清吏中以粵督壽權威最盛,決定除之。乃賤售家產一部,得金三千,託人於香港密購炸藥二百磅,並租賃緊鄰督署後樓民房一座,由該屋向壽住處,掘一地道,將炸藥裝入鐵桶,置於洞底,接以引火線,連夜經營;至九月四日佈署就緒;翌日黎明,燃香置於藥線之上。惟藥線為潮氣浸濕,未爆。復返,閱二日,再接線燃香,引爆,但僅傷及數人,壽無生命之虞。史擬再購炸藥重來一次,不幸於次日被補;至九月十八日,被綁至天字碼頭,斬首就義,年僅二十二歲。民國成立,追贈為上將軍,建立專祠
孫逸仙先生の盟友”陸皓東烈士”
先烈の字は中桂と申し、広東省の者で、少年の時から大志を抱き、
国父孫逸仙先生の唱える革命を贊襄し、青天白日の旗幟を創製しました。
1895年、先烈は広東で第一回の革命を起こし、失敗して逮捕され、
悲憤慷慨に殉国なされました。国父孫逸仙先生は「共和革命のために
犠牲なされた第一人者」と誉め称えました。
中華民国国旗:青天白日旗は、陸皓東がデザインした。。。
陸皓東,名中桂,字獻香,別號皓東。廣東省香山縣翠亨村人。父親陸曉帆,在上海經商,經營得法,爲一成功的商人,然在皓東九歲時逝世。皓東八歲入中私塾接受啓蒙外蕁ゆ睫盛フ棔も遅誠懇,與國父孫中山先生爲同村好友,爲幼年時代的玩伴,以後孫又隨家人往檀香山移民,陸皓東則仍 留在翠亨村,待國父於光厦伺,由檀香山回,兩人重聚,仍是一對相知深而又交談十分投機的好友,曾在家把北帝廟的神像加以搗毁,爲此遭受人的責難, 迫使雙方家中將兩人分別送往香港與上海避難。陸皓東到了上海,就學於電報學堂,畢業後派往蕪湖電報局工作,充任領班職務,是時國父在香港西醫書院就讀,常 與陳少白、尤列、楊鶴齡相談時政。十七年前後,陸皓東時來香港、廣州小住,對於國父的政治見解十分支持。後來與同黎吉卿女士結婚,將工作重心亦移來廣 州,故參與政治活動更爲積極。十九年,國父來廣州開業行醫,設醫務診所之分所於基督赫嵬臘貔字浬驅內,陸皓東常來書樓與同志聚談時政。二十年夏,陸皓東 陪同國父來廣州醫,設醫務診所之分所於基督赫嵬臘貔字浬驅內,陸皓東常來書樓與同志聚談時政。
二十年夏,陸皓東陪同國父經上海往天津,準備上書李鴻章,提出國是之主張,可惜此「上李鴻章書」內的意見,李鴻章不採衲,兩人失望而歸,但北上京 津之行,也讓他們對政局尙抱改革希望的幻想完全破減,認爲中國非有非常手段,不足以挽救中國,下定心志從事革命工作了。二十一年,國父由檀香山歸來香港, 積極發展「興中會」革命組織,陸皓東則偕同陳少白、鄭士良在港協助國父完成聯合楊衢雲、謝讚泰等人所組織的輔仁文社的工作,使革命組織力量得以集中,卒以 可進行後續的實際行動−革命起義。 同年二月二十日,在香港召開會議,討論在廣州起事的計劃,會上通過了由陸皓東所提出的愿掲鯑旗爲興中會革命的旗幟。稍後,陸皓東和國父一行到廣 州,成立興中會組織,在雙門底王氏書舍成立「農學會」爲掩護機關,積極招兵買馬,並決定在該年的重陽節舉事。待舉事之日迫近,一切均按計劃進行之際,突因 黨員之一的家人向翊邱靆,使翊醉所戒備,派兵四出捜查,陸皓東等人都因機警得以兔脫,但又思及在王氏書舍機關中,尙有黨員名册未及攜出,陸皓東以事關 黨員生命安全,乃冒險返王氏書舍,從容焚燒名册,然亦不幸被捕。陸皓東被捕後,翳嚴刑逼供,他寧死不招;九月二十一日,從容就義,死時年僅二十七歳。他 的屍首不知被翳置於何處,故後人無從尋找,只將其遺齒兩枚及衣冠葬於故翠亨村.
現在の中華民国国旗:孫逸仙先生が滿地紅をいれた青天白日滿地紅國旗
この後、免税店に寄り、女房殿は、今一番人気のメンマを6袋、
小生は、陶器製の孫中山先生記念酒:高粱酒、雑貨品を購入する。
それから、桃園国際空港近くのホテルのレストランで、静岡、成田、
高松の3ツアーグループの最後のお別れ昼食会が、行われました。
ツアー期間中の食事は、中華バイキング料理がほとんどだったので
熟年世代のツアー参加者は、麺類を欲求?してたので、担々麺が
主食で現れ全員、納得也、小生は、担々麺を完食する。
今回、旅行中、刀削麺を食せなかったのが残念でした。
(高粱酒、52度、700mL)
楽しかった台湾一周の旅游、天気も良く、暖かくて、体も調子よく
女性陣もまた来てみたいと宣っていたので、満足のようでした。
桃園国際空港から、中華航空は、仕向け地、静岡、成田、高松へ
飛び立っていきました。。。。。
終劇
PS:5日間で、Docomo携帯2台、電話代
帰国後、Docomoの請求書は、いつもの2倍の金額であり、台湾では
国内並み使用、Net,一部Wihi利用で、World Wing通話料+WWGパケホで
¥16,634.-かかったので、次回は、軽微SIM,現地携帯リース等、面倒でも
考えたほうがいいですね。
2018.01.19 Friday
2018/台湾旅遊(4)
1月17日(水)
ホテル6:50〜太魯閣渓谷〜大理石工場〜花蓮車站〜臺灣鐵道・太魯閣號
(10:13)〜台北車站(12:26)〜鼎泰豊(昼食)〜国立故宮博物院〜九份
〜夕食〜台北〜康華大飯店GOLDEN CHINA HOTEL(21:30)泊
本日は、早朝から大理石工場見学、当然、説明員がいるところは、当然
買い物をしてもらいたいのであり、売り子の店員も沢山おり、
大理石の製品、猫目石、虎目石、孔雀石、土産物等々、熱心です。
ここも先回来て、買い物をしいるので、小生は、女性陣の買い物の
アドバイス:大阪人みたいに、値引きもしくは、ストラップを
つけさせたりして、交渉役、嫌われ者役?をしてやりました。
ツアーの静岡の人たちは、事前にネットで調べて、高価なものなどは
調べてきており意外と、堅実な賢い買い物をしていたみたいです。
花蓮駅から臺灣鐵道の特急・自彊號に乗車、車内は、クーラーが利いてて
寒すぎるので、添乗員から、温度調整を依頼させました。
お楽しみの臺鐵弁当は支給されなかったが、美味しい珈琲を購入する。
台北では、鼎泰豊で昼食、若い韓国人旅行者から話しかけられる。
国立故宮博物見学約90分、みんな、白菜,角煮も観れて満足でした。
九份で夜のショッピング、買い物夕食と、台湾旅行の一番いいところを
満喫して、初めて来る女性陣は、楽しそうでした。
太魯閣渓谷ー1 東西往還行公路、花蓮側出入り口の門
太魯閣渓谷ー2
太魯閣渓谷ー3 これは、北回帰線の写真ですが、この北側が太魯閣。。
太魯閣渓谷ー4
太魯閣渓谷ー5 インデアンの顔に観えます
太魯閣渓谷ー6
太魯閣渓谷ー7
太魯閣渓谷ー8
太魯閣渓谷ー9
空を撮影しているが、空の形が台湾の形になっているので、美国人に
教えてあげました。。
太魯閣渓谷ー10
長春祠の滝は、何度見てもいい感じで、絵!になります。。
先回、来た時、ツアーの客とは別に、女房殿とコーヒーを飲んだ
駐車場の下のカフェで、今回も、一人、黒砂糖?蒸しパン+珈琲を
小生が飲んでいると、ツアーの2人の方も、小生がいて安心したのか、
なんとか、自力で注文する。小生は、我関知せずという感じです。
彼らの旅の楽しみ?を満喫してもらいたい。
旅行中、静岡の仲間ではない高齢の2組の夫婦、小生を添乗員なみに、
頼ってきて免税店まで、質問続きで、女房の友人を世話してやりたくて
正直のところ、冷たい言い方ですが、面倒くさかったです。
太魯閣渓谷ー11
長春祠行く途中の建物、中国人が落書きして行けないようですし、川に
入って、原石が採取できるみたいで、やたらに川に入れないみたいです
花蓮車站、重い旅行鞄をゴロゴロ引きずって特急電車に乗車する
撮り鉄の男女撮影者が、臺灣鐵道の特急・自彊號、通称太魯閣號の
雄姿を撮影していました。。。
太魯閣號は、TEMU1000型は、JR九州の885系”白いかもめ””を
継承、885系と同じく日立製作所により開発・製造
先頭一両目+2両目後部、貸し切り座席指定、ゆったりと臺灣鐵道の
列車の旅を満喫する
特急・太魯閣號の座席指定は、割合取りにくいそうです。
台北車站に到着、駅前広場からの街並み
台北101が遠くに観えます
中正記念堂(中正は、蒋介石の字名)にちょいと立ち寄る
小生が、初訪台したのは、蒋介石総統が死去した直後であり、
この建物は、当然、ありませんでした。
美国のホテル、高層ビル
九份−1 台北からバスで、約1時間で、瑞鳳の九份に到着する
九份−2
九份−3
九份−4
九戸茶屋のレストランで、窓の外の煌びやかなネオン、提灯を
観ながらゆっくりと食事をする。。
左側の看板は、臺灣映画「悲情城市」の舞台としても有名です
台北之夜、こんな歌詞が懐かしく思われる、建設的でないねー。。
九份から台北のホテルに帰り、9時半をすぎており、女性陣を、
台北101(受付終了:22時)に、地下鉄かタクシーで行っても
間に合いそうもありませんので、残念ながら断念する。
小生は、台北の老朋友{台湾の貿易会社の董事長(2代目)}と
馴染みのある日本人常連スナックで、董事長のいれてある臺灣製
薬膳ウイスキーを痛飲して、放歌放吟、卡拉OK(カラオケ)で
”何日君再来”韓国の歌”離別”歌い、台湾人より拍手喝采をうけ
有頂天?になりながら、台北の夜に乾杯する。。。。
台北の最終の夜は、勿論、”強い〜強い〜、阪神タイガース”の
六甲おろしで締めくくりました。
一番の歌詞でよく間違える、”輝く我が名ぞ”とちゃんと歌いました。
昔、台北のスナックで、8トラ?のカラオケ時代、店主と一緒に
探したがなく、LDの時代になって初めて、臺灣、香港で歌っており、
新嘉坡では歌えなく、今は、東南アジアの各国で歌えるのかな!
続劇
2018.01.19 Friday
2018/台湾旅遊(3)
1月16日(火)
ホテル8:00〜国道9号〜台東〜昼食〜大坡池〜北回帰線標塔〜花東縦谷〜
花蓮砂糖工場〜花蓮〜阿美文化村〜夕食:成旅品賛大飯店
PARK CITY HOTEL HUALIEN VACATION(20:00)泊
今日は、高雄から花蓮まで、バスの移動が長くなるので、乗り物酔いの為?
朝から”台湾卑酒””を飲み、車窓から見える、亜熱帯、熱帯のバナナ、
マンゴー、パイナップル、ドラゴンフルーツ、果樹木、そして檳榔樹など、
内地では見ることのない風景を楽しみながらか、バスの旅を満喫しました。
高雄で高級なホテルで、ブレイクファースト、日本人ツアー客が多いので
日本人には、特にシルバー世代に優しいメニューで女性陣も満足でした。
食事に夢中で、美味しい料理は、撮影できなかったです。。
日本統治時代の建物風景の写真がさりげなく飾ってあり、しばらく
眺めてました・・。
大陸のスモックPM2.5がここまで流れてきて、少しもやぽッかったです
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早朝、出発時間まで大分余裕があるので、女性陣とホテル周辺を散策、
コンビニや土産物店を回って、飲み物、つまみ、土産物を少々購入する
昨日、夜、新東陽股份有限公司”辣味牛肉乾”、小生が、酒のつまみに
愛用している牛肉の乾燥したピリ辛ツマミ(ビーフジャーキーみたい?)
ここで、コラショと購入する。
日本の税関で、没収される可能性があると店員がアドバイスもらう。
日本では、輸入できないので、中華街に行ってもありません。
10袋位購入し、旅行鞄に忍ばせ、ツアー客の特権?で、税関を
無事スルーする。(当該品は、Amazonで購入できるみたい!)
ホテル周辺の建物もきれいで、道路もきれいで気持ちがいいです。。
高雄から台東まで、南洋の檳榔樹、三毛作の圃場や日本では
見ることのできない花木類を眺めながらバスは颯爽と走る
バーシー海峡の紺碧の海を眺めな、緑島など天気が良く観えました
台東に昼過ぎに到着する
台東のホテルで、ピアノの演奏のいい雰囲気の中、昼食をとりました
大坡池
大坡池
池の周りを、サイクリングロードで、楽しむ若者をみかけました。
沿道の菜の花が綺麗です。。。
北回帰線標塔、先回は、ここには寄らなかったので初見参。。
北回帰線標塔
花東縦谷で休憩する。。
公園にD機関車が展示されており、砂糖の運搬に使用された。。
阿美のショーで歌われている”阿里山的姑娘”テレサテンが歌って
有名ですが、中国人民解放軍海軍政治部文工団団長の宋祖英女史が、
訪台して歌ったのが素晴らしいです?
小生は、公演途中、外で、ビールを飲んで少し場を外している間に
あなたが歌いたかった歌は、歌ってしまったと女房殿がいい、小生は、
3番まで歌いたかったとたわいのない話をしました。
莎韻之鐘,或譯莎鴛之鐘、莎勇之鐘;該故事發生於1938年台灣
日治時期的台北州蘇澳郡蕃地リヨヘン社(已遷村,1960年轉移至
今宜蘭縣南澳鄉金岳村[1]),一名泰雅族少女莎韻·哈勇(サヨン,sayon)
因替日籍教師田北正記搬運行李,不幸失足溺水。而台灣總督為了褒揚
其義行,頒贈予當地的紀念桃形銅鐘,該鐘即稱莎韻之鐘。
本僅為短短一則地方新聞的泰雅族少女溺水意外,經刻意報導後,
被台灣總督府用來宣揚理蕃政策的成功,並與國歌少年雙雙成
為皇民化政策的宣傳樣本(維基百科,自由的百科全書)
高山青(阿里山的姑娘)
澗水藍
阿里山的姑娘美如水呀
阿里山的少年壯如山唉
高山長青
澗水長藍
姑娘和那少年永不分呀
碧水常圍著青山轉唉
啊ー啊ー啊ー唉ー唉ー唉ー
姑娘和那少年永不分呀
碧水常圍著青山轉唉
高山長青
澗水長藍
姑娘和那少年永不分呀
碧水常圍著青山轉唉
啊ー啊ー啊ー唉ー唉ー唉ー
姑娘和那少年永不分呀
碧水常圍著青山轉唉
高山長青 澗水長藍
姑娘和那少年永不分呀
碧水常圍著青山轉唉
花蓮に到着して、阿美文化村で阿美族のショーを楽しみ、夕食後
ツアーで知り合った2人の男性と、夜の花蓮俳諧を計画す。
夜の飲み代の軍資金NT$(New Taiwan dollar)が、寂しいので
ホテルで日本円を、両替をしようとしたが、出来ないといわれ、
現地添乗員の手持ちNT$で両替をする。
フロントとガイドに、事前に、ご推薦の飲み屋をSuggestしたが
花蓮は、9時で終わってしまいますよなどと逃げられたので
昔、飲みに行った付近を2件、直接出向いて折衝したところ、
なんとか、手ごろな庶民が利用する飲み屋を見つけました。
21時に、フロントで待ち合わせて、3人で、店に乗り付けました。
臺灣卑酒に、58度の高粱酒の小瓶を注文し、”ビーチュウ”別名
”爆弾酒”を11時過ぎまで飲んで、懇親を深めました。
品 牌:金門小高粱、58度
原材料:高粱、小麦
内容量:300ml
醸造所:金門酒小實業股份有限公司
住 所:中華民國臺灣省金門縣金寧郷桃園路一號
部屋に戻るが、女性陣は、セブンまで同行して、見守りながら
夜のお菓子、飲み物を購入したので、部屋で、たっぷり
おしゃべりタイムを過したようでした。
こうして、花蓮の夜が暮れていきました
続劇。。。
2018.01.19 Friday
2018/台湾旅遊(2)
1月15日(月)
ホテル7:15〜台中SA〜日月潭・湖畔〜文武廟〜昼食〜嘉義〜檜意森活村
阿里山森林鉄路北門車站〜高雄〜蓮池譚〜龍虎塔〜寿山公園(高雄神社)
夕食〜六號夜市散策〜CHATEAU DE CHINE HOTEL KAO-HSIUNG(20:30)泊
昨日は、遅く就寝したので、少し寝不足気味ですが、バイキング料理を
朝からガッツリ食べ、朝の通勤で混雑する市内をぬけて、高速道路を一路
台中まで行く。
台湾最大の天然湖、日月潭を散策、先回は雨でしたが、今回は天気も良く
ゆったりと見学できました。
それから、高雄の蓮池譚、龍虎塔、夕没時、高雄神社の寿山公園から、
市内の高いビル、高雄港の風景、40年余年前の風景を思い出すと
その変貌ぶり驚きました。
夜は、六號夜市散策、夜店で、焼き鳥を買い、台湾卑酒を飲みながら
ウーロン茶など女性陣の買い物に付き合いました。
桃園のホテル近く、7:40、大きなビルが多いです
バスは、高雄を目指して快走する。冷房が効きすぎて
寒いくらいです。日本の車が多いです。
台中からしばらく進むと、沿道沿いで大変人気ある果物屋で、ガイド氏が
バスから降りて、檳榔を買う。すると水着姿の小姐が、檳榔を手渡しする
姿が新鮮で、車中の男性陣は、ニヤニヤして?挙って写真撮影をする。
檳榔(ビンロウ)
アジア地域で、嗜好品として使用される。檳榔子を細切り・すり潰
したものを、キンマ(コショウ科の植物)の葉にくるみ、少量の石灰と
一緒にガムの感じで噛む。しばらく噛んでいると、アルカロイドを含む
種子の成分と石灰、唾液の混ざった鮮やかな赤や黄色い汁が口中に溜まる。
赤い唾液は、飲み込むと胃を痛めるので吐き出す。檳榔の習慣がある
地域では、道路上に赤い吐き出した跡がみられる。しばらくすると
軽い興奮・酩酊感が得られるが、煙草と同じように慣れてしまうと
感覚は鈍る。最後に、噛み残った繊維質は、吐き出す。
台湾でも、魅力的な衣装の若い売り子が散見される。
台湾の中部最大の景勝地、日月潭湖畔を散策する
川島かず子の歌う”サヨンの鐘”(西條八十作詞、古賀政男作曲)が
小生は好きです。
”サヨンの鐘”(1943年7月公開/75分)
製作:松竹、台湾総督府、満洲映画協会
監督:清水宏
出演:李香蘭(山口淑子)、近衛敏明、大山健二
音楽:古賀政男
映画の劇中歌を歌っているのは、李香蘭が”サヨンの歌”を
歌っており、”サヨンの鐘”は、渡邊はま子が歌い、レコード録音
されています
物語は、実際あった話をもとに、台湾総督により映画化された。
戦時中、日本の教育を受けた方、80歳以上の台湾の方は、正確な
日本語で、この”サヨンの鐘”を歌えます。
興味のある方は調べてください。。。。
日月潭を散策すると、大昔、霧社の地を訪れ、山地同胞(高山族)の歌う
”サヨンの鐘””を、思い出す。戦時中、李香蘭が、同名の映画を、
この地で撮影したと聞きました。動画は、恩師が出征に際して
台湾軍の歌を歌う李香蘭の姿が、いい感じです。
再度、ツアーでなく来てみたいですね。。。。。
文武廟ー1
先回は、雨で大変でしたが、今回は、ゆっくり参拝す。
中国人団体客が、来ていたが、騒がしいです。
文武廟ー2
文武廟ー3
文武廟ー3
桃園の誓いで有名な”関羽雲長”の10尺?石像、気に入ったので
家に買って帰りたいが売り物ではないです、多分。。。
嘉義ー1、
阿里山森林鐡道の始発北車站、日本統治時代の駅舎建物がいい
駅の前で、臺灣のTV、旧正月の番組?の撮影クルーがいました。
嘉義ー2、駅の広場から、馬祖廟を観る
嘉義ー3、
檜意森活村
日本統治時代の建物が沢山、公園の中に保存されており、お土産や
軽食が売っており女性陣は、」アイスクリームやマンゴジュースを
所望する
嘉義ー4、檜意森活村、日本統治時代の製糖工場の寮が沢山建てられた
高雄ー1、
蓮池譚の大きなお寺の店で、女房は、マンゴージュース、
小生は、臺灣卑酒で、現地人とコミュニケーションズ。。
高雄ー2、
左営慈宮龍虎塔(龍虎塔)虎ファンの聖地、龍の口から入って、
登楼の最上階まで登り虎の口から出てくるとご利益があります。
先回、足が痛くなって懲りたので、今回は,登楼はパスする
高雄ー3、左営慈宮龍虎塔、賽銭をしないとご利益はありませんよ。。。
高雄ー4、
左営慈宮龍虎塔、大昔は、池の近くの大木まで車で乗り入れ可でした
高雄ー5
寿山公園(高雄神社)神社は現在もあり、見晴台から市内が見渡せ、
若者たちのデートコースになっています。
高雄の高層ビル”高雄85ビル”(地上85階、高さ378m
37階〜85階は「ザ・スプレンダー・カォシュンホテル」
高雄ー6
壽山公園は、改造中であったが、大昔は、高雄港は、軍港だったので
写真撮影は、禁止されていた。。
高雄六號夜市散策−1
高雄六號夜市散策−2
ビール片手に、焼き鳥をつまみ食い散策、臺灣卑酒は、日本のビールより
アルコール度数が弱く、食事時、2本くらい飲んでも酔いませんよ。。
高雄六號夜市散策−3
女性陣は、烏龍茶、小生は、高山茶と茉莉花茶を、とんでもなく
値引きさせて購入する。ツアーで立ち寄る観光茶店よりかなり安いです
それから、高雄で宿泊したホテルですが、高級ホテルみたいで
無料の持ち出しが可能なスマートフォンが、部屋にあり始めてみました。
高雄は、40余年前に来て以来、5回目になりますが、街並みも
高雄85ビル、愛河に象徴されるように、近代的な綺麗な感じに
なりましたが、初訪台の時、感じた”ここに住んでみたい”という
思いは、今度の訪問でも感じていました。
出来れば、日本の寒い時期、3か月くらいここに、長期滞在を
してみたいが、田舎に住んでいる小生には、物理的に経済的に
無理であることは承知していますが。。。。。。。
”! Love Taiwan”と日本でも以前?CMで放送されていますが、小生は
高雄の地を再訪して、香港國泰公司電影(1959年)”空中小姐”の
葛蘭の劇中歌を思い出しました。。。。。
続劇。。。
2018.01.19 Friday
2018/台湾旅遊(1)
1月14日(日)
富士宮13:00〜東名・富士川SIC〜新東名・清水JKT〜静岡PA〜島田金谷IC〜
金谷駅〜静岡空港17:00〜CI-169(19:25)〜桃園国際空港(22;20)〜
晶悦國際飯店PREZANT HOTELS INT'L(23:20)泊
北回帰線標塔で遊ぶ。北側は、亜熱帯で、南側は熱帯
北回帰線を行き来したのは、臺灣のみで、貴重な体験だなと思いました
北回帰線は、地球の北緯23.5度に位置する線、通過国は、台湾、中国
ミャンマー、インド、バングラデシュ、オマーン、アラブ首長国連邦
サウジアラビヤ、エジプト、リビア、マリ、モーリタニア、アルジェリア
西サハラ、パナマ、メキシコの16か国。
台湾では、東部海岸、花蓮、阿里山、シラヤ、嘉義、澎湖などの6か所の
国立公園を貫いています。
夏至に太陽の真下になり、その日太陽が真上に来る正午に線上に立つと
自分の影がなくなっています。
”””””””””””””””””””””””””””””””””
二年ぶりの台湾周遊旅行に、女房殿の女子会!3人に、小生が一人
アドバイザー?として参加、5日間、楽しく旅行をしてきました。
先回の旅行会社とは別ですが、コースは、大体同じですが、見学地と
ホテルは、少しGrade-upした感じで、女性陣には快適だったみたいです。
日本では、朝晩、冷え込み、厚手の服を用意していたが、台湾は、昼間
20〜24℃くらいで、シャツ一枚でよく、バスの車内、電車内は、
クーラーをかけていました。
富士山静岡空港から飛び立つ中国東方航空
空港に早く着いたので、石雲院展望台から写す。
夕方、富士山静岡空港から、麗しの島、台湾へ。。。
久しぶりの”夜間飛行”といえば”Mr LONELY”
23時前、空港から30分?くらいバスで、桃園のホテルに到着、
気温は、暖かく、明日の旅装の準備などしているうちに12時を回る。
ソーラー電波腕時計は、日本時間から現地時間(時差1時間)に
変化しないので、スマホで時間を確認する。
スマホ充電器も持参したが、電源から直接充電可能で便利です。
台湾電視台は、韓流ドラマのチャンネルがあるみたい。
空港で買った、オールドパーを少し飲んで、台湾のニュース番組を
看ながら就寝す。
続劇。。。。。。
2016.06.10 Friday
臺灣旅遊(5日目)臺北〜静岡(不着陸)〜名古屋〜静岡
6月9日 第5日目
"4時間遅れで、名古屋から静岡空港に戻るの巻"
伊楽園大飯店7:30〜台北市内観光:茶芸店〜免税店〜故宮博物院〜
金品茶楼/昼食〜桃園空港、CI-168,14:30〜18:30(静岡空港上空待機)
着陸TRY3回不着陸、仕向地、セントリヤ(名古屋空港)出発19:10頃〜
セントリヤ着19:30(CI首脳部合議、1時間)〜セントリヤ発20:40〜
富士山静岡空港,21:40(4時間遅れ)〜入境終了,22:30〜自宅着12:00
臺灣帰国の朝は、4時頃、むくっと起きて、ホテル周辺を一人散歩する。
毎日、昼食、夕食時は、決まって、臺灣ビール(150圓=500円位)を
しこたま飲んだ4日間ですので、夜は早く就寝。
臺灣では、小生が大好きな、いつもの牛肉入りの”刀削麺”を
食しないと落ち着きません。
ホテル近くの学校前のいつもの汚い庶民食堂で食し満足です。
女房殿も、肉類は、少ししか食せづ、野菜や万頭、パンなどで
食事していたようであり、小生は、軽いビールなので、体重が
2〜3Kg位、太った以外、特に問題なし。
夢のような臺灣一周の旅も、19人全員、みんな元気で消化し
桃園空港で、それぞれ帰省地にいく飛行機に乗って無事
かえったようです。
さて、静岡グループは、4時間に及ぶドラマが待ってました。
楽しかった旅行も、なんだか木っ端みじんに砕けてしまった
みたいで、終わりが良くなければ、全てよくなかったのではと。
朱老師ガイド先生さんは、桃園飛機場の別れで、云ってました。
”家族の待つ自宅に、予定の時間で帰るまでが、旅行途中であり、
自宅に到着して、旅装をといて、全てに旅行が終わります”と
言っていたのが印象的でした。
詳細は、”エピ−ローグ参照”!!!!!!、
帰国の日のあさ、早朝から忙しく働く臺灣人民を見る
朝、5時過ぎ、牛肉入り、”山西省・刀削麺”を美味しく食す
豪華で綺麗なトイレに立ち寄っただけの圓山大飯店から市内を望む
故宮博物院、孫文先生で有名な言、”天下為公”を
写したかったですが・・・
昨年、訪臺したとき参拝した行天宮を偶然バスで通過したので激写
最後は、蒋介石の宋美齢の経営した?圓山大飯店を望む
...............................................
エピローグ、、、、、
桃園飛機場を予定どうり定刻で離陸、中華航空(B737-800,167人乗り?)
静岡富士山空港に向けて快適な空の旅をたのしみながら、18時20分頃、
静岡空港上空に達し、なかなか地面に舞い降りようとはしません。
中華航空機なので、臺灣、中国人乗客が100人位で、日本人は、
約50人位と推定します。
機内アナウンスも、北京官話〜英語、最後に日本語と放送します。
通常は、録音してあるのを、PC操作してる??かな。
多分、日本人の客室乗務員は乗ってなかったと思います。
日本語の機内放送は、結果しか放送せづ、セントリヤ、中部飛機場、
名古屋國際飛機場など語句が入り組んで飛び交い、我々、9人の
トラピックス募集型ツアー(添乗員なし、約10万円負担)では
どうなっているのか、小生に、みんな聞いてくるので、小生は
ツアーの添乗員ではなくツアーのお得意さん顧客である。
皆、ぶつぶつ狼狽えているだけの状況下、如何にすべきか?
その結果、”元区長、元農業委員、現漁協副組合長、元農協理事、
現農協代表副総代、日曜百姓”の役をこなした声のデカい小生が、
”俄か添乗員”となる。
小生の後ろ後方にいた”遠州鉄道旅行社”の若い添乗員と
現況を共有し、情報収集を行うことになる。
(小生は、学生時代、バイトで台湾の日本人観光客受け入れの
現地旅行会社の補助員として、夏休みに1か月間、空港〜ホテル
バス添乗〜空港の旅程すべての世話をした経験があります。
卒業後は、貿易会社に就職し、主に東南アジアからの輸入品の
買い付け〜販売までの仕事をやっていました。
香港経由で中国から食料品雑貨、韓国から石材、衣料雑貨品
”6か月ソウル駐在”、台湾は、家具、大理石、化学製品、
ウナギなど食品等、輸出入業務をしてました。
台湾へは、展示会を開催して、バイヤーを連れての買い付け+観光の
仕事で、10回以上、個人観光で7回?くらいで、訪台してるので、
北京語は、簡単な言葉と中国語表示漢字から意味はすこし理解できるが、
ヒヤリングはダメです。
旅行で使う英語くらいは、多分理解できるが、旅行会社の添乗員の
補助員くらいは、今でもできそうです。)
静岡空港は、落雷!大雨!霧が発生して、3度、着陸TRYして
待機中の状況、
英語で、"Aircraft"などと、久しぶりに懐かしい、英語で
放送していています。
どうやら、カーテン先の中華航空の現場従業員が、我々を待たせながら
着陸仕向け地を”セントリヤ”にいくかどうか、熱き息吹をを感じさせる
現場TOPリーダーの合議中であるのが推測される。
中華航空の上部責任者とエンドースして、中部飛機場に行く想定は
なかったように推測します。
早口の中国語で何を言っているのか私には、いや日本人乗客には
理解できなく不安がっています。
小生は、こうした時、状況判断と仕切る様子等々、職員の動きを
じっと観察してました。
静岡空港から別の仕向け地の空港にを変えたときの飛行機会社、
旅行社の対応(小生が、この時点で記憶していた情報を思い出す)
1)静岡空港開港時、共産党の馬鹿な農民一人ごねてた立木の問題で
開港が延には、濃霧がすごく、何度か?名古屋に緊急着陸した。
飛行改善することを確約していたように記憶す。
(この件に関し、後日、來宮したM国会議員に直接問うと”現状で、
霧対策を実行するのは難しい結えの言を宣っていました)
2)静岡空港からの仕向け地の空港に変更(ダイバート)は、
近くの入国可能な中部飛機場に行くのが普通と推測する。
到着地が変更になった場合は、天候の回復を待って再度目的地に
向かうか、それが不可の時は、バスや鉄道等の代替交通機関を
当局が手配用意して陸路で目的地まで移動、その時の
実費交通費が支払われるか(旅行保険に規定されてるのか不明)
対応保険を出発時、TRAPIXで、Eチケットと旅行保険証を
手渡されて、この事態の保険適用の範囲の細かい文字で多分
わからないように逃げに徹した約款など誰もチェックしてないです。
保険会社の職員以外、我々の旅行者には、見当がつかず!
3)機長が現場最高責任者で究極の高度な判断を多分、保持しており
名古屋についた場合、”日本人乗客のほとんどが静岡空港の
無料駐車場に、日本人、旅行関係社の車のほとんどが駐車している
など細かいことなど把握してないし、ビジネスクラス席に座っていた
多分、機長交代?要員の動きが馬鹿に気になりました。
名古屋〜静岡まで、陸路、空路、確保してで返してもらえばだれも
問題がないし、とにかく早く家に帰りたいだけです。
が、乗車している158人のお客の条件(旅行会社、保険等々)は、
みんな、一律ではないので、飛行機会社どこまで持つのか
責任所在、保険の適用範囲、全部一律にしたら会社の利益は
とんでもなくマイナスでどうなるの。。。。。。。。
複雑な問題が出てきますので、収拾がつくのかな
、
支那人では、こんなことは日常当たり前で、当局職員を
恫喝して、阿悪たれればいいのかな。
当該航空会社と経営者の最終ネゴはどうなるのですかねー。
4)JAL,ANAなど大きな航空機会社の対応は大体想像できるが
中華航空も伝統ある臺灣フラックの代表公司であるが
対応には、明らかに違いがでるとおもうが。
とこれくらいの知識しか当時、頭の中に、持ち合わせていません。
さて、日本人乗客には、どうも中華航空当局は、状況経過、など
開示しないので不安がっています。
極端に邪推すると、機械故障、事実を隠している、流言飛語が
とびかう始末。
結局、安全策である、中部飛機場に着陸しましたが、相変わらず
中華航空の対応は、トロイ動きをしてました。
仕切りする人が、ずるずる先延ばしを図っているのではないか
らちがあきません。
明らかに、想定外で、マニュアルを引っ張り出して読んでいる
状態みたいに推測しました。
”情報収集と小生の対応”(女房の携帯、小生の携帯のバッテリが
弱いので、2台携帯で対応、静岡、名古屋で対応の状況記録)
まず、小生は、静岡空港上空で、携帯が”圏外”が消えたと同時、
TRAPIXの日程表の列記してある”出発当日の緊急連絡先”
羽田ツアーズデスクなる所と、阪急の専用ダイヤルに静岡空港に
降りられないと緊急報告する
名古屋でも携帯で何度か電話する
遠鉄と現場添乗員の正確で冷静なる行動と遠鉄の情報収集体制に脱帽。
小生のスマートホンの記録を、後で確認、2台で対応ス)
静岡→19:27〜4分間、19:45〜3分間、
名古屋→21:35〜2分間)
先方は、初めて聞いたトラブル?なのか、対応に要領をえなく、
小生に中華航空がどういっているのか教えてくださいなどと
小生は添乗員ではないので、こちらは、遠鉄の添乗員と情報を
共有して対処しているが、平日の17:30受付時間を
とうに過ぎているので、小生が、阪急旅行社、名古屋、静岡と
統括責任者、及び、静岡空港、名古屋空港の関係機関から情報を
早急に収集して、状況報告と対応等、を我々に知らせよ。
静岡のツアー参加者(女性7人)が不安がっている。
名古屋で降ろされたら、小生が、9人分が乗れるTAXIを
貸切って静岡空港まで行くぞ(代替えバス等も無理)と
支那人みたいに恫喝する(台湾人に小生の品格を疑われそう?)
激怒状態を少し控えて、”大人の対応”に終始しなければ?”
こうゆう時、女房殿が頼りになりますが、はるか後方で
見守っていたみたいです。
日本人の品格を堅持しなければ!、臺灣人民に恥ずかしいのです!
””トラブル発生、對処・時系列””
CI-168,14:30〜18:30(静岡空港上空待機)
着陸トライを多分3度するが、濃霧のためか、着陸はできなく不着陸
(後で気象検証すると、多分、雷雨、大雨?、深い濃霧発生?)
”中華航空の最終判断:あくまで小生の推測
小生の予測してた通り、静岡空港から一番近い入国可能な
中部国際飛機場にダイバート
中部飛機場に待機、燃料補給(静岡上空で3回くらい離着陸して
一番近い空港迄行く最低の燃料しか積んでないと推測)
名古屋空港に何が何でも遅延して怒っている乗客を何とか抑え込む
名古屋で入境をして乗客がすべて入国したら中華航空は大変
なことになります。
到着地が天候の回復を待って再度目的地に向かう
静岡空港に到着するとき、機長と空港のやり取りで、現地の到着時間
の気象予測など当然、高度で正確な情報を受けていると思いますが
静岡空港の天気は、雨、濃霧くらいしか放送しないのは、会社の
責任回避?のマニュアルなのか不明。
いずれにしても、中華航空が一番損害の少ない行動をとったのであろう。
仕向地、セントリヤ(名古屋中部空港)出発19:10頃〜
セントリヤ着19:30(CI首脳部合議、燃料補給、1時間)
セントリヤ発20:40〜
静岡空港,21:40(4時間遅れで到着)
阪急の静岡に到着を報告→丁重に電話しました)
入境終了,22:30
自宅到着12:00すぎ
以上、、、、
以前、もしも、天地転変で、タビックスと今回のトラピックスに
中部空港に降りたらどうするか2社に電話で聞いた覚えがあるが
天地転変の緊急時に対して、中華航空の機長、添乗員は平静を
装っていたが、皆、乗客を不安がらせないよう、文句を言う人に対して
問題ないと明るく応対していたのは、さすがプロです。
中部空港出發時、中華航空の客室添乗員は、救急用具扱いから
いつものスタイルで当然のごとく律儀にやっているのをみていると
”もういい加減にしろ”という乗客の目線をものともせず
手をぬかない行動は、なんと評価しタラよいか、我不知道。。。
美人で背の高い、チーフパーサー?の素敵な小姐は
”ずない”顔つきであったが、そんなことなど押し殺して
業務を冷静に凝らしていた様は、美人は得ですね。。。
客室乗務員が、平身低頭して乗客に誤っている中、乗客の方々は
皆、文句ひとついわず、無言でたんたんと飛行機から降りて行った。
私は、”ご苦労さまでした”としか言えませんでした。
静岡空港で18時頃から、中華航空の乗客を受け入れを
お待ちしていた関係業者の方々は、4時間も待って、
悪たれることなく、もてなしていた状況をみて小生は、
静岡県民の臺灣の乗客に対する暖かい対応に感謝?
阪急交通社の静岡の女性STAFFも遅くまで
対応ごくろうさんでした。
4時間のドラマで、小生は、航空会社の緊急時の情報開示の範囲、
我々のツアーの9人(添乗員が添乗してない)は、旅行傷害保険に
全員加入しているが、今回のケース時の、保険適用は、
どうなっているか改めて読み返してみました。
それから、私の席は、エコノミーの右最前列、女房はとんでもなく
遥か後方に離れて座っており、小生の右横では、若い夫婦+生後
3か月位の赤ん坊も4時間にも及ぶ騒動に、何回も鳴き声をあげて、
客室乗務員が、”鳴き声が騒がしくて申し訳ない”と言っていたが、
小生は、”長時間、蒸し暑い機内に閉じ込められて泣くのは当たり前で、
赤ん坊が大きな声で鳴くのも問題なし”とのたまいました。
小生は、免税で買った”オールド パー”を取り出して飲みたい気分に
なりました。
我々、ツアー客9人も、出鱈目にバラバラの座席で、9人の日本人
ツアーなど中華航空は、糧にしてなく”ゾンザイナ扱い”みたいです。
隣の子ずれの臺灣若夫婦に配慮しているのはわかるが、旅行者のHPで
席がバラバラになることもある?とみたような記憶があるが、我々
夫婦を、相席もなく、とんでもなく離れさせたのも不満であり、
席決めがとても不透明で疑問がのこる感じでスッキリしない。
今後、飛行機会社を再考する必要を感じました。
今回、今後、参考の備忘録:”トラブル発生時の行動記録”として、
大雑把に雑書きしました。。。
今週、5日間の期間中、交流戦で阪神が連敗、連敗で
ダメ虎状態です、何とか奮起を願う!
終劇
2016.06.10 Friday
臺灣旅遊(4日目)花蓮〜臺北
6月8日
花蓮7:30〜大理石工場〜大理石断崖:太魯閣渓谷〜花蓮車站〜
太魯閣自強號〜臺北車站〜忠烈祠〜総統府〜基隆〜九份観光
〜九戸茶語/夕食〜臺北:伊楽園大飯店〜”臺北101”by TAXI
〜(PARADISE HOTERU)泊 <総走行距離約140km>
花蓮からは、太魯閣渓谷の入口を見て、花蓮車站から鉄路を
臺鐵・太魯閣自強號のグリーン車?に乗って、臺北車站まで、
大きな旅行鞄をゴロゴロ転がして乗車。
40年前は、花蓮から基隆までは、バスしかなく、当時、
全島を一周する鉄道を計画していると言ってました。
自強號、途中、九份を通過して、臺北まで行ってしまいます。
小生は、九份で、途中下車したほうが又、わざわざ再度来なくても
合理的だと思いますが、団体行動なので、途中離脱などとんでもないです。
団体ツアーであり、切符は、指定席なので文句など言うことなし。
しかしながら、列車内で食した臺鐵・排骨便當(弁当)も、40年前、
食した時のシンプルな味が蘇った気分で、至極ご満悦でした。
太魯閣渓谷ー1
台湾花蓮市秀林郷:中部横貫公路東西横貫公路牌坊
40年前、臺中から東西横貫公路を、バス4台で、梨山を回って
ここの出口に出てきました。素敵なバスガイドが添乗してました。
途中の休憩場所で、売店で、売っていたインスタントのネスカフェの
コーヒーが美味かったのを記憶しています。
太魯閣渓谷ー2
長春祠、渓谷の入口からわずか約2.3km
太魯閣渓谷ー3
長春祠、中部横貫公路建設で殉職した、212人の霊が祭られている
祠からの湧水が素晴らしい瀑布
太魯閣渓谷ー4
太魯閣渓谷−5、
臺中まで、中部横断道路いけますが、多分、災害で通行止め?
40年前、臺中〜梨山〜花蓮のバスの旅では、車が谷底落ちて
レッカー車が狭い道を塞いでバスが通行できず、これ幸いと乗客は
1時間くらい、太魯閣渓谷の絶景をたっぷり楽しんだデス。
花蓮車站, 。
40年まえは、アルミ製?の頑固な臺鐵便當(弁当)でした。
40年ぶりに、同じ火車内で臺鐵便當(弁当)を食す
自強號車内
太魯閣自強號を撮影できました
台北・忠列祠に参拝!、、、、、
忠列祠の本殿の手前左右に辛亥革命の初期に殉死した、陸酷東、史堅如の
烈士の銅像と彼らの履歴銘板に中文で紹介されています。
訪れる人達で、この二人の事など、あまり知らないようですが、
辛亥革命で、多くの人たちが殉死したなど忘れ去られていくのでしょう
九份観光A
九份観光B
九份観光C
買い物リスト:手製麻の長袖支那服、吊るしもの、大型扇子x2、
女房の雑貨品等、2万円位出鱈目に、この店で買ったよ。
台北101に乗るため、入り口で10分位、待つ、21:30頃
偶然映ってしまった、入場者の整理をしている美麗的小姐!
遅くまでお仕事、ごくろうさんデス
89階の展望ロビー、
写真撮影后、売店に併設されたるミニカウンターで、女房殿は、
アイスクリーム、小生は、臺灣卑酒を飲みながら、臺灣最後の夜の
まったりした至福の時間をたのしみました。
臺北に戻るバスから撮影する
臺北の夜と言えば、この動画がぴったりです
麗君、台北之夜。。。。。。。
了
第5日目へつづく
2016.06.10 Friday
臺灣旅遊(3日目)高雄〜臺東〜花蓮
小生が住んでみたいと思う、高雄市内の様子
6月7日
高雄7:30〜臺東:臺東菜)〜三仙洞の岩礁地帯〜八仙台〜
花蓮翰品酒店(CHATEAU de CHINE)夕食〜阿美文化村、阿美族舞踏観賞〜
花蓮統帥大飯店泊(MARSHALHOTEL)<総走行距離約370km>
高雄から花蓮まで370キロの大移動する。
朱老師先生ガイドの銘ガイドにより、40年の細かい環境変化歴史
講義!をみんな、熱心に聞き入る人もいれば、爆睡するひともおり
静岡、仙台、高松の17人衆は、それぞれ旅を楽しんでいるようです。
ホテルを、圓山大飯店(高雄、台北)にグレードアップして逗留した
静岡の後期高齢女史たちと思われる??通称”三姉妹”と小生が
命名して、最後まで、ガイドさんが、連呼していました。
40年前に見た阿美文化村の阿美族のショウも、高校生〜30代位の
美男美女が汗かいて出演、我々に素敵な時間を作ってくれ感謝す。
センターの美女は、美麗的小姐でみんな見とれていました。
小生は、台湾民歌の”阿里山的姑娘(高山青)”を全部で大きな声で
最後まで歌えました、ハイ。
朱老師先生ガイドは、旅のガイドのプロ、大夫、ヘタバッタ老人達の
強行軍を察し、花蓮では、一人800圓(3千円)で、多分、日本で
食したら5千円くらいの香港資本のホテルで、和食、刺身、生ビール、
酒類飲み放題、超超豪華なバイキングに案内(ツアー代に含む)し、
のんべいの男性諸氏は、大喜び、女性陣料理が高級でも満悦也。
こうして、アルコールがたらふく入り、男性陣の親睦会は絶好調。
四国の高松の連中は、広島ファンで観戦によく行くようで
”打倒読売”で、小生と共同一致、新井選手の応援歌について
阪神時代の応援歌がベストで小生がそらんじると、いやいや、
広島の時代のほうがいいなどと、花蓮の夜の通称、
静岡草薙球場、仙台楽天球場、広島球場の高度な?野球談議は
深夜まで行われたようです。
高雄周辺
40年前、カルメンマキの歌(時には母のない子、、)バスの車内で
8トラックのテープ?で流していた。
小生は、バトワイザーかなんかのビールを飲んで、田舎の風景を
眺めていたようです。
この辺は、鰻の養殖池があったか記憶にないが”うなぎ御殿”を
車窓から探しながら、岬めぐりのバスは、颯爽と進む!
岩礁地帯?
同じ旅行社のバスで、羽田発のツアー客の若い水商売!の2人に
同じコースのツアー代を訊いてみると、静岡発の今回の旅行代金の
約半額であることを聞かされたが、羽田前泊、交通費を合算すると
今回の料金は、ほぼ妥当な価格と納得する。
岩礁地帯??、夏天にくればいいかな、
霊厳寺の洞窟、八仙台かな?
花蓮市内がみえてきました。
花蓮は、観光する場所が沢山あるが、ツアーなのでそんなに多く
観れないと思いますが、楽しみです。
了
4日目につづく
2016.06.10 Friday
臺灣旅遊(1日〜2日目)静岡〜 臺北〜高雄
若者の巡礼のメッカ、あざやかで楽しそうな彩虹眷村
TAIPEI 101からの夜景、
今回、タブレット(Experia Z-1)も持参し、ホテルのWIHIで快適な
ネット環境に満足でした。
今回の旅行前、スマホを新しい最新型、ドコモで一番大きいサイズの
"Xperia Z-5(約9万円、一括払)"を購入し、試運転してみました。
今後、海外旅行で、このスマホで、何でもできそうで、老眼鏡不要なり。
タブレットは、帰国したら下取り?に出す予定、Z-1のタブレット、
2年間、活躍してくれました。
6月5日(第1日目)
(静岡〜臺北) 静岡富士山空港CI-169,19:40(20:40)〜23:00〜
城市商旅航空館(CITY SUITES GATEWAY HOTEL)(桃園泊)
6月6日(第2日目)
臺北〜臺中:〜宮原眼科〜彩虹眷村〜日月潭〜文武廟〜
高雄:蓮池潭〜道教寺院/三鳳宮〜立多商旅泊(BEST HOTEL,KAOHSIUND)
〜六合二路夜市 <総走行距離約420km>
”ぷろろーぐ”。。。。。。。
今回の旅行計画は、最初、名古屋空港前泊、大連、旅順、丹東ツアー
をBOOKING、10人揃わず(5人)ツアー中止、近鉄?、近畿NT旅行社
代替ツアー提案出来ず、取り消の内部理由開示もせず。
仕方がなく、昨年、臺灣に行ってきたので、行くつもりがなかったが、
阪急球団の旅行社主催”臺灣一周ツアー”に参戦す。
がしかし、まさに、最終日に4時間に及ぶドラマがまってました。
静岡草薙球場上空から、舞い降りようとした中、最後、9回裏、
阪神の攻撃中!とても普通では思いもよらないトラブルが発生?
我々の静岡空港出発ツアー仲間(男2人、女7人、添乗員なし)に発生?
行くつもりがなかった敵地、雨のセントりヤ:中日球団の名古屋ドーム
球場に、国際線:中華航空で、堂々と強制不時着?
機内が異常な蒸し暑さの中、別の遠鉄ツアーの若い添乗員と2人で
奮闘!して、試合時間を4時間遅延して草薙球場に濱中選手一行?が
無事、舞い戻ってきました?
不死鳥が 舞降りたら この勝負 征す時
濱中〜 濱中〜 俺たちを 導け〜
「かっとばせー はーまーなかー 中日倒せー 」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今回、5日間のツアーの、参戦は、静岡GP(2夫婦+女5)、
高松GP(2夫婦),仙台GP(2夫婦)総計17人。
静岡空港での出発がなぜか1時間も遅れました。
公式?アナウンスでは、客が6人?が交通トラブルで待つので
じっと機内で1時間も待ったが、遅延原因結果も報告なく出発。
乗客は、夕食前なので、怒り心頭ぎみ、食事をもらって怒りが静まり、
桃園空港に11時近くに到着。
桃園飛機場から5分”CITY HOTEL”に投宿。
明日から、毎日ホテル7:30出発なので、みんな爆睡す。
6月6日(第2日目)6時頃から、バイキングで朝食、バスに
乗りっぱなしで花蓮まで、420Kmの大移動デス。
今回、現地旅行会社のガイドは、84歳の朱先生で、日本統治時代、
蒋介石、蒋経國、国民党政権〜陳民進党!政権〜馬政権〜、蔡新総統の
臺灣を指導してきた人物の評価と我々が、知らない臺灣の裏事情を
話してくれ、今回旅行を楽しい旅行にしてくれ大感謝する。
学生時代、40年前、今回の旅程の逆コースを旅しているので
原風景の変化が、新鮮で懐かしく、女房殿に話をしてやりました。
この時期、臺灣は梅雨ですので、午前中は、小雨、曇りで
”日月潭観光”でスコールあったくらいで、あとは帰国まで、終日
雨にあまりあわず、ラッキーでした。
ホテルから朝の高速道路風景
臺中へ行く途中、車窓からの風景
彩虹眷村−1、若い恋人、女性客に人気があるみたいデス
彩虹眷村−2
戦前の”宮原眼科”による、アイスクリーム屋、女房は喜び
小生は、甘いものなど食したくなく、近くのセブンで購入した
臺灣ビールを支那人の田舎者のおっさんにも一本進呈し、デタラメ
中国語で適当に意思疎通を図る
雨の日月潭1
雨の日月潭2
学生時代、2度目の一人旅で、東南亜洲を回って、香港から臺灣に入国。
臺北から火車で臺中に移動、当時、新嘉坡の南洋大学?に留学した甲府
出身の女学生(苗字が小生と同じ、同年齢、帰省)と知り合いになり、
確か、同じバスで、ベトナムやラオス入国事情やその他、貴重な話を
しながら、多分、日月譚まで行きました。
彼女とは、そこで別れ、小生は、山地同胞の住む霧社に行き、
”霧社事件”の受難碑に参拝し、安い旅社に投宿しました。
近くの食堂で、夕方、一人ビールを飲んでいると、ここまで来る日本人など
珍しいのか、原住民が多分、臺灣語で話しかけてきてきました。
小生は、拙い普通語(北京語)で話したが、伝わらず、最後は、筆記で
意思疎通をして、料理をどんどん注文し、ビールもみんなでたらふく飲んで、
多分、彼らの土木工事などの日雇い仕事の報酬の10日分(一万円近く?)
大盤振る舞いしたようでした。
雨の文武廟
高雄、蓮池潭の駐車場の交差点A
ここは、昔、高雄火站から、徒歩かバスで来たのか記憶にないです
蓮池潭B
蓮池潭C
昔、ここにも来ているが、こんなに建物が整備されておらず、殺風景な
感じであったが、この2棟はあったように記憶しています
蓮池潭D、龍と猛虎の張りぼての中をくぐり、賽銭10圓あげる
阪神の優勝まちがいなし、10圓でなく、1000000圓しなければ?
夕食したあと大道りを、バイクで颯爽と走る臺灣人民の姿に感動する!
高雄は、小生が住んでみたい場所であり、学生時代、市内をほとんど
観ているので、夜、高雄車站の近くの安いホテル(百星大飯店まだ健在)
など訪ねていきたかったが、今回の宿泊したホテルは、反対側なので
本日は、かなりの強行軍のため疲れたので次回の訪臺時に
したいと思いました。
了
第3日に続く
2015.03.16 Monday
台湾旅遊 ・ 台北の裏通り散策 (4日目)
”這�聴樹是什麼樹?成為臺北特定的樹木,在意的樹嗎?
台湾に入国して、ずっと雨で、観光は、予定通り行ったが
帰国の日、やっと晴れました。
昨夜、荷物を整理し、旅行鞄にパッキングが完了しているので
6時半から、最後の朝食を、女房殿とゆっくりしました。
ここのバイキングは、熱海後楽園ホテルよりいいみたいと、小生は
云うと、女房殿は、長岡のサンバレーのほうがいいなどと、他愛のない
会話が続くが、こんなまったりした時間を過ごすのも久しぶりです。
ホテルでは、極力、中国語の番組を見て、旅行の雰囲気を盛り上げ
日本の番組を見てもいいが、現実に戻されそうで必要以外、極力
見ませんでした。
移動は、タクシーで観光するのが手っ取り早く楽ですが、MRTでほとんど
移動したので、観光する費用が、1/3位ですんだみたいです。
そのぶん、土産品は、農協の年金友の会 の旅行のような多量になりました。
今回、ホテル間の移動はないので、大型、中型の旅行鞄にして、台湾で
買った土産物は、すべて収まり、あとは、残った台湾元を、免税店と
空港での昼食代に当てればいいので、気が楽です。
部屋の掃除は、毎日、行き届いていて、小生は、毎日、小銭を有るだけ、
枕元に、こころずけとして置いてきました。
女房殿は、最終日に置けばいいのではないですか?
買い物の時、小銭で支払いたいので残して使いたいなどと
日本にいるような事をいっています。
この辺は、主婦と旅行で太っ腹になっている小生の感覚のズレで
女房殿の方が、正しいとしておきましょう。
さて、本日は、旅行社のピックアップは、10時40分の為、
朝食のあと、ホテル周辺の裏通りや公園など、ゆっくり散策して
台北最後の時間を過ごす。
約40年前、30年前 、20年前、15年前に訪れ、当時の台北の発展を
思い出すと台湾自体、素晴らしく発展し、台湾の人達と日本及び
日本人に対する思いは、ずっと変わることなくフレンドリーでした。
日本人に接していると変わらないような深い絆で結ばれているように
感じました。
台北の表通りは、東京のオフィス街と変わらないが、裏通りは、
庶民の生活臭が肌で感じられ、若い頃、一人旅したときよく徘徊した
ものです。
台湾では、野良猫、犬が、昔は、うろうろしていたような記憶が
ありましたが、今回、数匹しか遭遇しただけであった。
公園では、高年齢の方が、カセットテープで、日本の花笠躍りの
練習をしていたり、ダンスをしたりしているので、女房殿に一緒に
踊ろうといったが、この事態は、上海の公園でジルバを踊りたいと
云ったが、冷たく拒絶され、今回も、同じでした。 残念!!
さて、ホテルに戻り、チェックアウトして、添乗員を待つことにする。
ホテル内は、禁煙なので、ホテル玄関横で、何度も一服しました。
日本の旅行者の方とよく一緒になり、即興の旅情報交換の場になり、
ホテル内でも、よく挨拶をしたりして、楽しかったデス。
暫くして、ツアーの皆さんと合流し、免税店で、家族や兄弟の土産を
しこたま買って、空港に向かいました。
バスの車窓から見える、高級ホテル・圓山大飯店に、最終日に
一泊したいと旅行社にリクエストしたが、今回は無理だったので
次回は、何が何でも宿泊してみたいです。
桃園空港に到着し、出国手続きをして、楽しかった台湾の旅行で
いろんな出会いと、旅先で、我々、初老夫婦を手助けやアドバイスを
戴いたことに深く感謝し、再度、訪台する事を、決めました。
次回は、台北ー台中ー高雄ー恒春ー最南端ガランビー灯台で
バーシー海峡を看て観光するなんてプランしています❗
旅行中、ずっと雨で、帰国時は、いい天気で、きっと”晴れの日に
再度、臺灣に来なさい!”という事でしょう。
そんな、台北の街並みの樹木の若葉の息吹を味わい、旅行中の
楽しかった思いを胸に、富士山静岡空港に向けて、我々を乗せた
中華航空は、発展する台北の市街地の街並みを眼下に観ながら
飛び立っていきました。
3月13日(金) 晴れ (日本;晴れ)
康華大飯店10:40〜豪爵大飯店Pick-up〜昇恒昌免税店〜桃園空港
台北桃園国際空港14:20 (CI168)〜富士山静岡空港18:05
ホテルから市内風景1 遠くに円山大飯店が看えます
ホテルから市内風景2
付近を散策
黄色いタクシーの先の”中吉公園”で、まったりとした時間をすごす
良く整備され暑いときは、木々が日差しを和らげてくれるでしょう
公園の風景、台湾滞在中、よく歩いたので足が痛いので
ベンチで休憩する
公園内で、年寄りが、高級カメラで花木を撮影しているので
”この木、何の木、気になる木です”とTVのCMのような感じで
尋ねてみると"黄花風鈴木"と達筆な文字で書いて教えてくれました
裏どうりを進むと、黒いニャンコが、我々を発見したようです
コンビニ特に、セブンは、街角にたくさんあり、高粱酒、飲み物、
酒のつまみなど、5回くらい寄らしてもらい、助かりました
品牌名称:”玉山高粱酒” 、産品:白酒、容量:0-3公升、
主要原料:高粱、小麦、酒精度:54度、保存期間:無制限 onlyを
記念に買いました
大通りは、左にビル、屋根つきのアーケードがあり、歩行が
楽であり、通り沿いは、オートバイや、車の停車場所に
なっています
松江路の市場付近に入ります
女房殿、張り切ってどんどん歩いているので体調もイイのかね
八百屋の前で、台湾の旬の蔬菜類などを観察する
農業委員とJA役員をやっているので、自然に足が止まります
ホテルのバイキングで食した緑色の梨のようなものや
観たこともない珍しい果物が並んでいます
写真撮影もしてもイイかと威勢のいいお兄さんに聴くと
快諾して、バイキングの果物に”苺”が無いのを思い出した
苺の値段は、多分、日本と変わらないので、台湾では
かなり、高価!なものかな
小粒の苺1パック(30Pics)ホテルに持ち帰って食べましたが、
食べきれず、掃除のおばさん用に”謝謝! 驫鐘馗 拝”と
メモを残してきました
別の果物屋さんには、リンゴやオレンジ、台湾バナナ、、、豊富です
街角のコーヒーショップ、通勤前の朝食や飲み物を提供しています
”Su Su Cafe”
女房殿は、指さし中国語の本を持参しているので
最初から注文までチャレンジしてもらいました
友達に”この本は便利だから貸してあげよう”などと
のたまっていました
若い、夫婦がやっており、感じのいい店で、スマートホンを
いじくっている人たちを観察していると、我々も、もう少し
安くなってから買おうなんて考えている人は年寄りだけで、
時代に取り残されていくようです
昼間の行天宮前の交差点、通勤時間なので、オートバイの
数が多く、みんな颯爽と走って行きました
偶然、写った、バスの広告もオシャレでセンスはいい感じです
観光バスか、市内公共バスか、わかりませんが、台北最後の
写真は、躍動する台湾の現風景を現わしているように
感じました
(写真、後日検証結果:三重客運・台北の2大バス会社の一つです)
この国は、大陸支那とは、別の国でいた方が幸せでしょう
再見了、親愛的臺北、臺灣省、中華民國!!!!!
”中華民國臺灣省:中華民國の省の一つ、福建省の
一部(金門島、馬祖島)も実行支配している
臺灣海峡を隔てた場所に位置する、台湾本島及び
周辺の島々を領域とする”
終劇!
了
2015.03.15 Sunday
台湾旅遊 ・ 皇冠北海岸線、(淡水〜基隆)(3日目)
アジアの歌姫、麗君記念公園.......
昨日は、女房殿感謝デーのため、故宮博物院で、たっぷりと
3時間見学し、本日は、小生の我儘コースである淡水から基隆まで
自力更生!しながら行く初めてのバスルートです。
このルートを行えば、台湾のほぼ全部走破したことになります。l
本日も雨模様の中、皇冠北海岸線(台北北部)の淡水から基隆まで、
バスを利用し途中、�勣園の麗君墓園に墓参りすることが、今回の
小生の大目的です。
事前に、ルート、観光資料をプリントアウトし、その他の情報は、
Tabletに簡単に取り出せるように、ファイルに纏め、不足している
細かい情報は、ホテルのWI-Hiで閲覧して間に合わせる事にしました。
google Map(機内モード)で済ませようとしたが、市街地はとんでもなく
詳しいが、台北北部は、地名が余り載ってなく、最新の情報は
PCでは、完璧に集められないので、毎度の事、現地人で尋ねたり、
状況、現場判断が多かった。
麗君は、新宿ルイード、ミニコンで、本人と話したり、触ったり(握手デス)
懐かしく感じているが、没後20年たちますので、なんとか墓参りして
区切りをつけたいと思っていました。
麗君の墓園を見学することなど、熱烈なファン以外、日本から台湾へ
わざわざ来ること自体、かなりマイナーであり、観光ガイドブックにも
詳しく書いていないくらいです。
昨日は、台湾の初代総統・蒋中正総統、本日は、アジアの歌姫・麗君、
そして、国父孫文をみれば、今回の旅行は、目的を叶えられます。
3月12日 雨天
康華大飯店ーMRT行天宮8:00〜MRT淡水8:30ーBS8:50〜金山BS9:50?TAXI〜
(竹+均)園(麗君記念墓園)〜金山BS11:00?〜基隆港11:40-昼食ー
臺灣鐡道・基隆火車站13:30?〜(自強號)〜南港火車站ーMRT南港〜
国父記念館〜MRT台北車站〜MRT行天宮17:30ー康華大飯店ー
行天宮・参拝ー夕食〜康華大飯店
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
参考:悠遊(上+下)、(Easy Cardの購入、チャージ、返金の概要)
台湾の台北、高雄のMRT((地下鉄)全線、及び公共バス、観光地バスに
使用できる交通カード
悠遊(上+下)、カード購入100NT$、チャージは、100NT$単位
MRT駅窓口の自動販売機、悠遊マークのあるコンビニ
有効期限、2年間、チャージすれば再度利用可
台湾鉄道の一部、動物園や一部観光施設の入場券も可
未使用分の残チャージ返金は、MRT駅窓口でOK
今回、MRT、バス、一部鉄道:基隆ー台北、を2日間フル使用して
約300NT$位使用したので、1日、100NT$位の目安でチャージでOKか
交通カードは、1日票、台北観光護照のカードがあるので確認必要
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
今回のツアーは、フリープランでも、毎日朝食が付くのでありがたい。
バイキングが6時半からOKなので、たっぷり時間をかけ食事しました。
料理、果物、飲み物、其の他、日本人の口に合いそうなものが
多く、女房共々、満足でした。
朝食を済ませ、確か、皇冠北海岸線を走る、台湾好行は、9時に
出発なので淡水までMRTで行く。
淡水に8時半頃、到着、バス停を訊いて行ってみると、案内もなく、
現地の方、2〜3人に訊いて、定位置で、9時発の台湾好行の
マイクロバス待っていました。
どうも来る気配がないので、警官の若い人に尋ねると、8時半頃
行ってしまったみたいで、次は、多分10時頃の出発だと
教えてもらいました。
仕方がないので、基隆行の各停停車のバスに乗り込み、金山まで
行けば何とかなると思い来たバスに乗り込みました。
乗客に確めると、このバスは、墓園には寄らないバスのようで
金山付近で、違うバスに乗り換えた方がイイらしい。
雨が、とんでもなく降っている中、途中で乗り換えもトライしたが
時間がもったないので、地図で、現在地を推測したり、バスの中の
停留所の名前と格闘しながら、金山までなんとか自力で到着する。
金山で、TAXiと値段交渉し、少し高めであるが、往復500NT$で
チャーターする。
台湾語しか話せない運ちゃんであるが、墓園に到着すると、大きな
傘を貸してくれ、30分位、待っててくれました。
麗君の墓に到着すると、中国語の”空港”で出迎えてくれ
墓前に合掌して、写真を撮って、暫し散策する。
今回の旅行の大目的が叶い、気がかなり楽になったようです。
平日で雨が降っている状況で、当然であるが、麗君の墓参りに
来ている人は、我々以外いません。
金山に戻り、良心的な運転手のオジサンに、チップ200NT$渡すと
バスが出発するまで、我々を見守ってくれ、傘をくれたり、肉まん
あんまんを、それぞれ我々に持たしてくれ感謝する。
バスは、かなりあらい猛スピードで基隆港に到着する。
雨が降っているので、駅近くで、昼食する。
TAXIが安いので利用できるが、バスはもう十分なので、台湾鉄道で
台北に戻る事にする。
校内で、切符を買うのを手間取っていると、素敵なOLのお姉さんが、
”Easy Cardが使用できるよ”(確か臺鐡は,ダメと書いてあったが?)
と云われ、そのあと、カードの残チャージ(普通100+200NT$位)は、
大丈夫ですかと聞くので、”1000NT$したので、十分残っている”
”OK了! OK了!
地下鉄では、改札口で残額を確認していたが、バスでは、余裕がなくて
残額など確認する発想さえ持ち合わせていませんでした。
お姉さんにお礼を言って、なんとか自強號に乗れました。
この電車は、日本製であり、台湾は、本土の支那人と違い、
3.11地震の時、いち早く途轍もなく多くの義捐金を即集めてくれ
とても親日であり本当に感謝しています。
台北に戻り、国父記念館に立ち寄り,孫文先生の偉業に敬意を
こめて、じっくり館内を見て回りました。
それから、買い物をしに、台北駅付近をブラブラしながら
楽しみたいので、天成大飯店近くに目をつけている店にいく。
今回の訪台記念に”COWA Boutique”という店で、ハンドバックと
財布を買いました。
ホテルに戻り、行天宮に参拝し、近くで夕食をとり、ホテルに帰着す。
ホテル近く、本日も雨天デス
マンションの広告か、680萬臺灣圓=2516万日本円なりと、学生時代に
感じたマンションの価格を思い出すと、日本並デスね
ホテル横のMRT行天宮入り口
台北市街地を抜けると、淡水まで地上を走行
淡水BSでウロウロする
バスは、風雨の中、海岸を猛スピードで走り抜けていく
石門BSで降り、乗り換えを試みたが、無理なので、周りの人に
尋ねたが、よくわからないみたいです
ここで、基隆に行く直行バスに乗り込み金山まで行く
親切なTAXIに連れられ、麗君記念公園に到着
思っていたより小さい感じです。到着すると中国語の”空港”の
歌で、迎えてくれました。雨の中、老婆が、草取りをして
綺麗に管理してくれていました。
やっと麗君の墓に参拝、
彼女が微笑む写真が懐かしいです 合掌
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愛國藝人麗(竹+均)小姐墓誌銘
ピアノのモニュメント等で遊びながら記念公園を散策す
参考動画:SouthernValleyDiaryy殿謹製
金山BS 20分位待って、基隆行バスに乗り込む
雨の基隆港に到着 台湾映画”海角七號”の舞台になったです!
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基隆の駅前、九イ分、観光地はどうでもよいのでパス
臺灣鐡道・基隆火車站
自強號で台北に戻る
有名な美国のホテルだっけ?
国立国父記念館
、
台北101 a
t
台北101 b
孫文没後90年記念行事? 子供たちの合唱がイイです
天成大飯店前から新光三越台北駅前ビル??
MRTは移動するに便利デス
行天宮に参拝
行天宮2
行天宮3
行天宮から周辺を散策
ホテル近くの千野で夕食、ビールが飲める街角の食堂はほとんどなく(多分)
3軒くらい尋ねて聞いたが、没有? やっとこの店でOKとのことです。
この居酒屋とかいてあるが、ビールは置いてなく定食屋です。
注文があると、近くのコンビニ!で多分、買ってきてくれ注文すると
お姉さんが、都合3回買い行ったようです。
この店は、両親と小姐の3人でやっており、小姐からホットなアドバイス頂き
良心的で再度、来るつもりです
[総合日式料理? 住址:台北市中山區錦州街269號]
居酒屋といっても、定食屋という感じで、つまみの単品は
むりやり注文して作ってくれました
康華大飯店に帰着しました
ホテルで、口直し!の美味しいコーヒーを飲む
参考動画: emmanue 1963殿謹製
最初に中国語の歌を覚えたのが、麗君の”雨夜花”です
雨夜花,雨夜花,受風雨吹落地,
無人看見,每日怨嗟,花謝落土不再会
雨無情,雨無情,無想阮的前程
並無看顧,軟弱心性,乎阮前途失光明
雨水滴,雨水滴,引阮入受難池
怎樣呼阮,離葉離枝,永遠無人倘看見
花落土,花落土,有誰人倘看顧
無情風雨,誤阮前途,花蕊哪落要如何
雨夜花,雨夜花,受風雨吹落地,
無人看見,每日怨嗟,花謝落土不再会
雨無情,雨無情,無想阮的前程
並無看顧,軟弱心性,乎阮前途失光明
Seeing/4日目につづく
2015.03.15 Sunday
台湾旅遊 ・ 雨の台北(1日目、2日目)
霧に霞む”台北101”......
静岡空港近くの金谷、雹or小雪が降り、突風がすごっかった
梅の花も咲きだしたが、少し肌寒いなか、静岡空港から台湾へ
女房殿と4日間、旅行してきました。
3月10日(火)晴れ、台湾/雨 (台湾1NT$ / x 3.7日本円)
富士宮〜静岡〜東名吉田IC〜静岡空港 19:15(19:45)〜CI-169〜
台北桃園國際空港22:10(22:40?)〜康華大飯店(Golden China
Hotel)23:50
静岡空港に、出発の2時間前に到着。今月、天津航空の
就航の為か、天津行の中国人が、旅行特大鞄以外、電気釜やポット、
梱包(便座?)などまるで夜逃げの荷物と見間違えるくらいの
大容量の荷物をチェックインカウンターに預けており大変な
混みようです。
夕方フライトの中華航空は、日本からの旅行客と台湾に帰る
台湾人の旅行客が、半分くらいずつであり、中国人のように
派手な原色の服装でもなく、みんな少しオシャレした落ち着いた
雰囲気の人たちが、整然と静かに出発の手続きをしているのが
印象的でした。
久しぶりの臺灣(7回目!)、久々の中華航空でのフライトです。
女房殿は、初訪台なので少し緊張気味みたいです。
今回も、タビックスジャパン富士宮のハンドリングで、半日のみ
観光無料コース付、他はフリープランの気ままな旅行です。
一応25人くらいの団体ツアーなので、空港到着後、初めての客が
多いので、全員が揃わず、ホテルは、グレード別に、それぞれ
3か所、降ろして行きます。
ホテルをグレードアップしたのは、我々2人だけであり、最後に
なってしまい、ホテルにチェックしたのは、24時少し前になって
しまいました。
台湾入国した時点で、ずっと大変な雨が降っていました。
3月11日(水)雨天
康華大飯店9:20〜中正記念堂〜総統府〜茶専門店〜鼎泰豊(昼食)
〜龍山寺14:00〜康華大飯店14:40
康華大飯店15:50〜MRT行天宮駅〜士林(TAXI)〜故宮博物院(3HR)〜
士林(バス)〜MRT士林駅前(夕食)〜MRT台北101(19:00-2HR)
康華大飯店23:00
本日は、朝から雨、半日、台北市内無料ツアーに参戦
女房殿に、台北市内の有名な定番観光地巡りをして、午後は、
故宮博物院で、気が済むまで(約3時間)観覧してもらい
女房殿サービスデーの一日です。
ツアーの仲間たちは、2日間、オプションツアーをするみたいなので
我々のみホテルで下ろしてもらい、ツアーの仲間たちとは、帰国のとき
会うと思いますが、これから別行動です。
此処まで、予定では13時でしたが、15時までかかってしまいました。
これから我々の旅行をするのにどうしても必要なアイテムである
台北捷運;MRT(地下鉄)バス全線に共通使用できる”悠遊(上+下)”
Easy Cardを入手すべく、コンビニで購入できると事前にPCで
調べていたが、2ヵ所店で聞いたが、入手出来ませんでした。
ホテル近くのセブンの店員が云うのには、MRTの自動販売機で
購入できるというので、早速、MRT行天宮に直行す。
駅員は、改札に一人しかいなく中国語と英語で訊いたが意味不明。
自動販売機で、必死にタッチパネルを操作したが難しいです。
その時、台湾の若い女子大生が、モタモタしている我々に
May I help you? と話しかけてくれ、操作方法を教えてくれました。
まず、Easy Cardを100NT$で購入し、カードを移動させてセット
しなおし、必要な金額を入金し、チャージするシステムになっており
東京のメトロカードも購入したことのない田舎者には、ちょっと
難儀であった。
女子大生に、最高の”三顧の礼”を言って、なんとか第一関門の
Easy Cardをゲットす。
便利で優れもののカードで、MRTとバスは、全線、タッチ操作のみで
スイスイ移動でき、日本よりか、便利そうです。
さて、ホテル隣のMRT行天宮から士林まで地下鉄を乗り継ぎ、
タクシーで故宮博物院の正面玄関に乗り付ける。
女房殿と定番の白菜、豚の角煮など順番に見て回り、小生は
もうここに4回くらい来ているので、女房殿が気が済むまで見てくれと
いう事で待ち合わせ時間(出口)をきめて、小生は、出口から退館して
しばし別れました。(入館料:500NT$、8:30〜18:30)
約、1時間半くらい、珈琲ショップで時間をつぶしたり、外は、
雨なので、傘をさして周辺を徘徊たり、外の喫煙場所で、中国人
団体さんと一緒にタバコを吸ったりと、長時間!過ごしました。
本日は、女房殿、感謝デーで、こうゆう日もあってもいいのです。
女房殿と無事、再会し、もう外は暗くなってきたので、Taxiで
捕まえようとしたが、何台も乗車拒否されたので、しかたなく、
公共バスでなんとか、MRT士林に到着する。
女房殿もあまり入りたくないといってた、少しマイナーな
庶民の食べる食堂で無理やり、夕食を食べました。
女房殿は、腹の状態を気にして、くすりを携帯しているようです。
夕食を終え、士林夜市は、雨なので、蹴飛ばして、台北101へ
直行する。
夜の7時ころだというのに、列を作って待っている人があり、
待ち時間、30分くらいで、チケット(500NT$)売り場の小姐は、
雨で、展望悪しといい、確認していたが、日本人観光客は
ここに登らなければ、気が済まないと思われます。
上海の森ビルと同じく日本の土建屋の作品で、東芝の
高速のエレベーターで、あっという間に最上階の
89階に到達しました(蒋中正89歳逝去にあわせたのかな?)
外は雨で、下のネオンが見える程度であったが、台北市の一番發ぅ咼
に登ったというだけで、我々も気が済んだ感じです。
それから、MRTでホテルに戻り即、就寝す
康華大飯店前:松江路
朝から大雨、少し肌寒い、最高気温が14℃、
農安路
総統府
東京駅、満洲、朝鮮、臺灣の高雄、台北にも戦前、似たものがあった
日本人が建設した、煉瓦造りの外観がいい感じです
中正(蒋介石総統)記念堂、昔の場景とかなり変わったようです
小生が、学生時代、2回訪臺しているが、初訪臺は、蒋介石総統が
死去して、1っか月後であり、この建物は、まだありませんでした
堂内の中正座像
ガイドさん曰く、撮影OKらしい
台北101???ではなく、美国(USA)のホテルか。を遠望す
世界10大レストラン”鼎泰豊・本店”で、小龍包のフルコース
ツアーの6人(女性5人)横浜中華街より美味いと絶賛していた
小生は、臺灣ビール(別料金)を飲みながら食事する
小生は一回、食すればもう十分です、女房殿は、中国行きを止して
台湾の本場の小龍包を食べたいという事で満足でした!
龍山寺
何度も見ているのであまり感動せず、雨の為、長居は無用デス
故宮博物院、中国人の声がでかく、大変混んでいます
故宮博物院、雨で外をウロウロしたり、別館には行かない
MRT士林車站の駅前
庶民格安食堂で、缶ビール2本飲む
若い店員のエプロンには、”三姉的店”とプリントしてあり
台北101駅出口、そこには、”鼎泰豊”があり
(101店; 台北市市府路45號地下一階)
夜の7時、雨天だというのに順番を待つ観光客
"全票 NT$500 入場時段 2015/03/11 19:00 入場編號:19137"
ガラスに残光が入り、下の夜景がデジカメでうまく取れません
地震、台風に耐える軸点装置??
世界のブランドショップが、殆ど出店しているので艶やかデス
台北駅傍のMRT,買い物、空港へのアクセス等、立地条件が完璧な
天成大飯店(昔、宿泊済)にグレードアップしたが、旅行社は
受け入れられず、同等クラスのトップに書いてある康華大飯店に
投宿したが、MRT行天宮が隣にあるので、至極べんりでした
康華大飯店に夜遅く御帰還デス
康華大飯店の9階の部屋、WiHiもばっちりで、ホテルの
設備、接客等、全て日本並みにイイです
Seeing :3日目旅行記につづく
2007.06.24 Sunday
再度訪れたい台湾
台湾へは、国交断絶した翌年に訪華していらい、仕事や観光で
5回くらい行っています
初めての外国旅行が台湾、学生時代であり、個人的には,
最高峰の玉山に登頂してみたかったが果たせず今に至っています
最近、昔の本を整理していたら、最初の訪華の日程の記録が
出てきましたので書いてみました
パスポートの申請、査証、予防接種や資料集めたり旅費は、
夜中バイトして30万円位持って行ったと思います
当時、そんなに学生が海外旅行にいく環境ではなかった
それでも私より5つ位上の日大の先輩は、40年くらい前
サニーを韓釜フェリーに乗せて、ソウルまで行ってきたと
戒厳令下の当時の韓国に行ってきた大変だった体験を
きいて私も触発され旅行した次第です
前置きがながくなったが、当時のルートを記してみます
5月1日(陰天)
羽田(CX451) ー 台北 (華華大飯店泊)
国泰航空に最初どうしても乗ってみたかった
当時なぜか、JUNの夏スーツをきていた
夜の9時頃到着なので、TAXIからみる中国語のネオンが
特に印象的であった
5月2日(好天)
台北(FAT129) − 花連(汽車) − 台東(山大王別館泊)
遠東航空に乗る。機内のクーラーが効かず団扇が配られる
恐ろしく飛行機が揺れミシミシと嫌な軋む音がしました
このプロペラ飛行機、1ヶ月後に墜落していることがわかり
いまでもゾットしてます
花連から5時間程、汽車に乗ったが、車内は段々暑くなる
南へ南下すれば当然であるが、暇なので女子中学生と片言の
中国語や英語で話しかけたりして楽しい時間をすごす
玉里付近では、スコールにあい雨の降りが南国的であった
台東に到着、TAXIで安いホテルを探す
夕方、TAXIの人がきて、市内の飲み屋で酒を飲もうと
誘われる。店に行くと友人の仲間2人がいて小生の心中は
穏やかではなかったが、学生だと言うことでゴチされる
5月3日(好天)
台東(バス)ー 楓港(バス)ー 恒春(TAXI) −鵞鑾鼻(TAXI)
墾丁公園(TAXI) − 高雄(百星大飯店泊)
朝食は、屋台でおかゆに牛の干したやつと搾采などや
米粉などで簡単に済ませる、以後、朝食は、このスタイルになる
台東から公路を楓港まで3時間バスにゆられる
車内では、カルメン・マキの歌がかかっていた
楓港では、安い食堂で柳麺を食べていると恒春行きのバスが
出発するという連絡が聞こえてきて(我不知道)店の
娘さんが”急がないと乗れない(多分)”と台湾語で
いっているので慌てて、100圓札をおいて店を去ると
娘さんBSまで追いかけてきてくれ皺皺のおつりの札を沢山
私に手渡してくれました
私も満面の笑みをうかべ、赤い札を3枚位チップで渡しました
恒春からTAXIで台湾最南端の鵞鑾鼻まで行く
TAXI代がとんでもなく安いのでちょっとリッチな気分で
車窓からみる海の色が南国にきた感じがしてきました
鸞鑾鼻に到着しバーシー海峡を望む紺碧の海に映える
白い灯台がすごくマッチしていました
それから亜熱帯植物が群がる墾丁公園でゆったりとした
至福の時間をすごす
残念ながらTAXIにカメラを忘れこの時の写真がないです
そのあとはバスで北上して高雄に投宿する
5月4日(好天)
高雄(百星大飯店泊)(澄清湖ー蓮池潭ー寿山公園ー高雄神社他)
高雄市内をTAXIとバスを使って市内観光をしました
鈴木明の本の最後の方に愛河という川があるというので
探したり、市内を隈なく歩きまわりました
特に駅近くの安宿に宿泊していたが、その周辺には夜店が
沢山並んでいて、安い中国服をかったり古本屋に寄ったりと
楽しいj時間をすごさせて貰いました
高雄はなんとなく住んで見たくなるような感じがしました
5月5日(陰天)
高雄(観光號特急)ー嘉義(中興號特快)ー阿里山(高峰山荘旅社泊)
高雄から汽車で嘉義まで行く途中でSLに遭遇する
台湾でも当時、地方ではSLが現役で沢山走っていました
嘉義下車、街中では、蒋介石が死去して1ヶ月目なので
青天白日満地紅旗が至る所で半旗掲揚されておりました
旅行社で阿里山森林鉄路の切符と宿泊がセットされた
クーポンを発行してもらい汽車に乗り込みました
アプト式(SWICH-BACK SYS)の走り方で阿里山まで登っていく
当然であるが、亜熱帯気候から新春の気候に変わっていく
阿里山車站に到着すると旅社の娘さんが出迎えてくれた
日本語がかなりOKなのでなれなれしく話をした
夕方は、食事の後、高山族のショウを見に行く
エレキを使って軽音楽や歌や踊りをみせてくれた
勿論、”阿里山的故娘”も歌ってくれました
こうゆうショーでは、日本人だとわかるとステージに呼ばれ
踊り子と一緒に踊る羽目になってしまいます
5月6日(陰天和雨天)
阿里山(高峰山荘旅社泊)
朝早く、娘さんに祝山まで日の出を見に行くので無理やり
起こされ汽車で祝山へ行く
生憎、曇りであったが、主峰玉山の左側から少し日の出を
見ることが出来、台湾の観光客と私が音頭をとって
”中華民國、万歳”とバンザイ三唱をしました
その日は雨が一日降っていた為、宿泊客はなく娘さんの部屋に
行ってレコードをきいたり、喫茶店で珈琲を飲んだりして
談笑して一日が終わりました
泊まった部屋の壁には、大学の山岳部や探険部の落書きがあり
山を愛する岳人である小生としては、少し嫌な感じがしました
5月7日(陰天)
阿里山 ー 嘉義(観光號) − 台中(第一旅社泊)
阿里山の駅で、古い切符を集めているからとほしいと
娘さんにお願いしてもらい10枚くらい貰いました
日本にきたら案内するよなどと軽い約束をしたが
当時、商用以外、日本の査証が個人には下りなかったようです
嘉義から観光號の特急で台中へ行く
日本の新幹線よりゆったり座れて快適です
台中に到着して台湾銀行でT/C(旅行小切手)200$
両替し街中の闇両替(?)で正規より有利な圓両替をする
5月8日(好天)
台中(金馬號)ー 梨山 −大魯閣 − 花連(遠東大飯店泊)
台中から東西横貫公路を東海岸の花連まで約9時間の長旅です
大型バス3台の内、我々のバスの乗客は20人くらいです
バスガイドは、20歳くらいの素敵な小姐です
途中のドライブインで小休止しながらバスは進みます
朝7時の出発なので朝食がまだだったのでパンと珈琲を注文する
珈琲は、ネスカフェのインスタントでありなんだか嬉しくなりました
梨山で1時間休憩、真っ赤い色彩の建物の梨山賓館で昼食をとる
バスは台湾随一の名所、大理石の岩肌にトンネルがいくつもある
有名な観光場所の大魯閣渓谷に入りました
普段はサーとバスで眺めるだけですが、この日は、車が渓谷
落ちたのか、レッカー車が一台止っており通行できません
1時間位通行止めなのでバスからおりてここぞとばかり
渓谷の景色を堪能しました
おまけに、王さんという35歳くらいの社長と仲良くなり
花連まで英語や筆記を駆使して談笑していきました
また手頃なホテルまで捜してくれた
ホテルに到着してから、ホテルで基隆までのバスの予約を
確認するが、あまり伝わらなく、女中が、バス会社まで
案内してくれ明日の切符を手に入れることが出来ました
それから阿美文化村のショーをみてきました
ホテルに戻ると、王さんが訪ねてきて、外で酒でも飲むか
と誘われました
台湾の人達は、一般的に親日的な人が多いというが、TAXIの運
転手や初対面の人は、まず目をみて、全体の雰囲気で善人だと
決めつけるが、他方、最悪の事体を想定して、札入れは
携帯せず札は、いくつも小分けしてポケットに入れるとか、
ホテルには、どこに行くかはっきり印象ずけたりと
必要最低限の用心もしていたと思います
(今みたいに、便利な携帯電話が、ない時代であった為)
行った店は、”銀馬車”という高級クラブみたいです
行くと仲間が3人いてチョッとヤバイ感じです
1時間くらい5人で意思疎通を重ね、話は遂ぎれることもなく
大変盛り上がったようですが、小生の心中は穏やかではない
明日は、台北へ行くので朝が早いのでホテルに戻るといい
王さんに、大枚の1万円札を渡したが、”兄弟、今日は
俺が誘ったのだから、俺のオゴリだ(多分)”といい
受け取らなかったです
ホテルに戻り、冷や汗物だった先ほどのシーンを思い浮かべたり
してるうちに又飲みたくなり、外の屋台で焼き鳥をつまみに
角砂糖なしの紹興酒やあまり冷えていないビールで
しみじみ飲みなおした
この一人旅、随分危険と隣り合わせの旅だなーと実感し
感傷的になりながら遅くまで飲んでいました
5月9日(陰天)
花連(バス)−蘇澳(快車) −基隆 −台北(白宮大旅社泊)
花連から蘇澳まで4時間バスに揺られながら行く
当時は鉄路の計画があるといっていたが、今は
台湾をほぼ一周する鉄路が完成しバスを利用しなくても
1周できるので便利になったです
蘇澳から汽車で基隆を通過して台北に向かう
車内でアルミの箱の弁当を始めて買い食する
まずまずの味であり、隣に座っているおばさんからは
台湾の龍眼?を貰って食べたです
台北に到着しホテルに直行する
忙しかった台湾1周の旅行も無事に完了しほっとしたのか
ベットに横になったら眠ってしまいました
5月10日〜11日 (台北泊)
5月12日(雨天)〜15日
台北(PA844)−沖縄(スカイメイト使用) −福岡 −羽田
帰国の日は、朝から小雨である
いろんな思いを胸に秘めて飛行機に乗り込む
麗君の”空港”の場景に近いような感じです
”5月9日夜〜12日朝までの記録は、ここに記してないが
小説にしても良いほどドラマチックな出会いと別れがありました”
飛行機の窓からは、中華民國臺灣省臺北市の北部の
赤茶けた大地が垣間見え、飛行機は一路沖縄へと向いました
天下為公、大道行(孫中山)
在年青年人的辭、根本没有失敗二字
無論現在或将来 我都永遠祝福您
寄語遠方 我那忠實的友人 願你別來多珍重
如果夢代表相思 願在你的夢中也有我
終劇
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